「籾山模型の魅力」 ~ 創業100年 父子二代で生み出した珠玉の艦船模型 ~

「籾山模型の魅力」 ~ 13. 船の科学館の設立と籾山模型

船の科学館 飯沼一雄

船の科学館は、(財)日本船舶振興会(現:日本財団)の故 笹川良一会長が、「戦後、わが国は造船世界一となったにもかかわらず、造船・海運等の海事産業について一般特に青少年に知ってもらうことの出来る施設が少ない」ことを嘆いて、建設計画を起こしたものである。

昭和38年(1963)9月「海事博物館建設基本方針」がまとまり、昭和40年(1965)6月「海事博物館建設専門委員会」が発足、昭和42年(1967)4月に運営母体となる(財)日本海事科学振興財団が設立され、昭和45年(1970)12月建設工事に着工、そして今から37年前の昭和49年(1974)7月に開館した。

開館までに要した歳月は約11年10ヵ月、この間に博物館の展示資料として籾山模型が収集され、また蔵太郎氏が代表を務める籾山船舶模型製作所にも多くの艦船模型の製作が発注された。

[写真50] 船の科学館

① 船の科学館で所蔵する籾山模型

船の科学館で所蔵する籾山製と確認できる竣工模型は、建設時に日本郵船より寄贈を受けた、貨客船“新田丸”縮尺1/50と、河川用客船“洛陽丸”縮尺1/100がある。

[写真51] 船の科学館所蔵の“洛陽丸”

さらに“ぶえのすあいれす丸”縮尺1/100模型が、建設当時の記録(歴史部門委員であった石井謙次氏の筆跡)に籾山製と記されているが、展示に当たって籾山で修復したとはいえ細部を良く見ると、籾山模型かどうか疑問なしとは言えない。

[写真52] 船の科学館所蔵の“ぶえのすあいれす丸”

また、開館後に寄贈されたものとしては、昭和55年(1980)6月に関西汽船より寄贈を受けた内航客船“すみれ丸”縮尺1/100、平成23年(2011)7月に住友セメントシステム開発より寄贈されたセメント運搬船“第一すみせ丸”縮尺1/100、があり、いずれも建造時に造船所により発注・製作された竣工模型でありビルダーズ・モデルと思われる。

特に“第一すみせ丸”は、社屋移転に際して廃棄処分になる予定であったものを、模型愛好家の同社社員の手によって救われ船の科学館に寄贈されることになったもので、こうした例外を除いて多くの籾山製竣工模型も時代の経過と共に処分される運命となったのであろう。

なお、製作者は“洛陽丸”、“ぶえのすあいれす丸”、“新田丸”、が籾山艦船模型製作所(作次郎氏)製、“すみれ丸”、“第一すみせ丸”が籾山船舶模型製作所(蔵太郎氏)製である。

[写真53] ご寄贈いただいた“第一すみせ丸”

<表14> 船の科学館で所蔵する籾山製の竣工模型

 

② 船の科学館建設時に籾山船舶模型に発注・製作した模型

船の科学館建設時に、籾山蔵太郎氏が代表を務める籾山船舶模型製作所に発注して製作した艦船模型は、ギリシャの「トライリーム」模型 縮尺1/50、「北欧の船」模型 縮尺1/50、カラック船“サンタマリア”縮尺1/50、「ブリガンチン型帆船」縮尺1/50、日本郵船の貨物船“秋田丸”模型 縮尺1/75、巡洋艦“妙高”縮尺1/100、油タンカー“さんぺどろ丸”縮尺1/10の7隻で、昭和44年(1969)~昭和49年(1974)の開館前に製作されている。

<表15> 船の科学館設立時に新たに製作発注した船舶模型

籾山模型に詳しい鎌倉氏によれば、これら艦船模型の内、ギリシャの「トライリーム」模型、「北欧の船」模型、カラック船“サンタマリア”模型等は、増田艦船模型製作所(愛知県豊橋市)の増田彰吾氏が、蔵太郎氏から指名を受けて船体を削ったことがあるとのことである。

[写真54] サンタマリア、トライリーム、ブリガンチン他

また、大正5年(1916)三菱長崎造船所で竣工した貨物船“秋田丸”模型について、船の科学館に残された記録によれば、「船の世界史」(発行:舵社)の著者でもあり当時船の科学館の顧問をされていた、上野喜一郎氏が図面等の資料を提供し指導・製作されたものとなっており、蒸気往復動のレシプロ機関等内部の様子を再現したカット模型となっている。

[写真55] 船の科学館建設時に製作した“秋田丸”
[写真56] 船の科学館建設時に製作した“妙高”

③ 籾山船舶模型にて修理・修復された模型

船の科学館建設時に、籾山船舶模型製作所に依頼して修理した艦船模型は、大阪商船“ぶえのすあいれす丸”縮尺1/100、戦艦“敷島”縮尺1/48、御座船“天地丸”縮尺1/13.5、御座船“泰寶丸”縮尺1/13.5、弁才船 縮尺1/30等である。

<表16> 船の科学館設立時に修理を依頼した船舶模型

[写真57] 船の科学館建設時に製作した“さんぺどろ丸”

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