田村欣也氏 (元三菱長崎船型試験水槽トップ) の書信

学会誌「KANRIN」9月号の紹介「造船資料・用具の保存活動開始」を読まれた西部支部会員の田村欣也氏から藤村委員長あてに私信を頂戴した。
要旨は下記の通りであり、本委員会の活動に対し賛意と激励の意を表された。

また、「KANRIN」記事中の記述に関連して、同氏が三菱退職後勤務された長崎総合科学大学の情報科学センター機関誌に寄せられた「水槽試験と計算機の今昔」のコピーも併せて頂戴した。当HPに先般掲載した「計算器具」などに関連する記述であるので、田村氏のご了解を頂いてこのHPに掲載させて頂くこととした。

(2008年10月7日 藤村記)


藤村 洋様

平成20年10月1日

田村 欣也

拝啓、その後ご無沙汰致しておりますが、益々ご清栄のことと存じます。

さて、日本船舶海洋工学会発行のKANRIN9月号を拝見しましたところ、貴台の「造船資料・用具の保存活動開始」が掲載されており、大いに共感をもって読みました。

私も時々、かつての古巣である長崎水槽に顔を出してみるのですが、貴重な(と私が考える)資料が次々と廃棄されたりして、本当にこれでよいのだろうかと不安を感ずることが多々あります。関西支部として、このような運動を立ち上げたことに、心から敬意を表する次第です。

貴台の記事の中に「英国では排水量計算にどんな道具を使っていたのであろうか・・」という部分がありますが、私は恐らく「フーラー式計算器」を使用していたのではなかろうかと、想像しています。

この計算器は、私が水槽に配属された当時(1953)は、まだ盛んに使われていました。形は円筒形で対数目盛が切ってあり、有効数字は3桁まで可能でした。木製のどっしりとした構造で、日本製とは思われず、多分水槽建設時(1908)に、水槽の諸計測装置とともに、輸入されたものではなかったかと、考えておりました。残念なことに、これも又、現在は全く残っておりません。

尚、ご参考までに、私が長崎総合科学大学に在籍した時に、学内の所報に掲載された「水槽試験と計算機の今昔」を同封致します。御笑覧頂ければ幸いです。(以下略)」


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