資料調査報告(No.14) : 2016年2月発行 昭和60年 ~ 平成6年 : 大谷昇一 「WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM 今昔(4) 」

2016年1月 保存委員会 委員 大谷昇一

まえがき

前回の報告書 「WHEEL HOUSE , CONTROL ROOM 今昔(3)」 では、昭和50年代を取り上げたが、本稿ではそれに続き、昭和60年~平成6年の10年間を取り上げる。 写真は前回と同様、「船の科学」などの雑誌から収集した。
昭和60年からの10年間も、昭和50年代と同様、円高や人件費の高騰を受け、その対策として引き続き、省エネや少人数船の検討が行われたが、さらにメンテナンス・レス化や混乗船化が行われた。

建造船については、この時代も、タンカー、ばら積船、コンテナ船、自動車専用運搬船、LNG船などが多いが、タンカーやコンテナ船については、前の時代の代替建造時代(第二世代)に入った。
この時代の新しい船としては クルーズ客船が挙げられる。 平成元年(1989年)が「クルーズ客船元年」と言われていて、その後毎年のように建造された。
また仕事量の少ない時代だったので、無理をしてでも仕事量の確保を優先したためか、珍しい船や難しい船が多数建造されている。 これについては (あとがき/まとめ)で触れることにする。

省人化対応として、船橋に集中制御室、総合事務所、無線室を配置する方式は一般的となった。 さらに1992年2月より、無線装置には人工衛星を利用した GMDSS(Global Maritime Distress and Safety System)が採用されるようになり、機器自体がコンパクトになったので、船橋での装備が容易になった。 なおGMDSS の完全適用は1999年2月からである。

制御技術面では、昭和60年頃から16ビットのマイクロCPUが本格的に使用されだした。 さらに画像処理専用のマイクロCPUが開発されたことにより、白黒の Character Display からカラーの Graphic Display が使用されるようになった。 これにより Graphic 表示が容易となり、監視や制御画面として Graphic 表示が用いられ、Pump の発停や Valve の開閉が CRT 画面上で行えるようになった。
さらにマイクロCPUが安価に供給されるようになったことから、一つのシステムに、中央処理用のCPUだけでなく、通信用のCPU, プリンター用のCPU, 画像処理用のCPUなど多数のコンピュータが使用されるようになった。 また CRT もコンソールに2台組み込まれるようになり、さらに船長や機関長の部屋に装備されるようになった。 昭和40年代の超自動化船では1台のミニコンピュータで多くの仕事をさせる高度集中制御方式を採っていたことを思うと短期間での技術の進歩には驚かされる。

このようにコンピュータの利用が進むと、各機器にコンピュータが組み込まれだしたので、コンピュータ間で情報を相互利用するためのネットワークが採用されるようになった。 最初は大学の船、例えば、昭和62年建造の神戸商船大学(現神戸大学)の深江丸には Local Area Network が導入され、平成元年に建造された東大海洋研の大型海洋研究船(白鳳丸)では、光リンクシステムが装備された。 また平成5年建造の東海大学の海洋訓練船「望星丸」、平成6年建造の鳥羽商船高専の「鳥羽丸」には大規模な船内LANが導入された。 これらは、一般商船にネットワークの採用が進む先駆けとなった。

経済面については、昭和60年(1985年)からの10年は、最初は ドル・円は240円程度であったが、徐々に切りあがり、1994年には 102円まで上昇した。 この10年間で140円もの上昇となった訳で、これに対応するため、造船業界のみならず日本の製造業は縮小或いは撤退、海外への工場移転をせまられるなど、多難な10年であった。 原油は1バーレル 27ドルから17ドルの間で変動し、比較的安定していたと言えよう。

省エネルギー対策については、昭和50年代と大きく変わってはいないが、船舶の軽量化を図るためハイテンを使用したり、メンテナンスの軽減を考えてステンレスを使用したりしている。 ここでは Wheel House や Control Room が主体なので余り触れる訳にはいかないが、様々な対策が取られた。 大まかに挙げると、低速主機+大直径プロペラ、粗悪油使用、排ガス・エコノマイザー+ターボ発電機、軸発電機、空気抵抗の少ない居住区の採用など実に多様であった。 さらに船内の電力に余剰が生じた場合には、軸発を推進モータとして使用したり、大型の軸発を装備し、航海時は軸発1台で船内の全電力を賄うなどの対策も取られた。

少人数化船については、昭和60年からの10年間は、外国人との混乗化が進んだためか、余り取り上げられていない。 少々期待外れであったが、ここでは、昭和62年に建造されたコンテナ船「かるふぉるにあ まーきゅりー」(11名運航のパイオニア・シップ実験船)と昭和63年に建造された11名運航を目指した高近代化コンテナ船「はんばー ぶりっじ」の写真を収録した。

本稿に収録した 船とWheel House, Control Room の写真は下記に示す。

1. 昭和60年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

1.2MB、6ページ:本文を読む

2. 昭和61年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

0.7MB、3ページ:本文を読む

3. 昭和62年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

1.2MB、5ページ:本文を読む

4. 昭和63年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

1.2MB、5ページ:本文を読む

5. 平成元年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

1.0MB、5ページ:本文を読む

6. 平成2年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

1.3MB、6ページ:本文を読む

7. 平成3年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

0.8MB、4ページ:本文を読む

8. 平成4年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

0.7MB、3ページ:本文を読む

9. 平成5年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

2.0MB、9ページ:本文を読む

10. 平成6年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

1.3MB、6ページ:本文を読む


あとがき/まとめ

1. 前報告書と同じように、昭和60年から平成6年までの10年間の Wheel House, Control Room の写真を雑誌「船の科学」などから収集し並べてみた。1. 前報告書と同じように、昭和60年から平成6年までの10年間の Wheel House, Control Room の写真を雑誌「船の科学」などから収集し並べてみた。

2. 建造船は昭和50年代に続き、この10年間もタンカー、ばら積船、コンテナ船、自動車専用運搬船、LNG船が多かったが、タンカーやコンテナ船は代替期に入り第二世代となった。また仕事量確保が優先され、無理をせざるを得なかったためか、目新しい船や難しい船が多数建造されていて多彩である。その概要は下記の通りである。

  1. (1) コンテナ船やタンカーは昭和40年代に多数建造されたが、それらの代替建造が、高度化仕様(省エネ、省人、省メンテナンスなど)を折り込んで始まった。「第二世代」、「第三世代」の表現が使われている。
  2. (2) LNG船も新世代型が建造された。
  3. (3) 多種の貨物を同時に積み付け可能なケミカルタンカーやプロダクト・キャリアーが建造された。
  4. (4) 米国の1990年油濁防止法に対応するためダブルハル・タンカーの建造が始まった。
  5. (5) 平成元年は クルーズ客船元年と云われ、クルーズ客船の建造が始まった。「おせあにっく ぐれいす」、「ふじ丸」(平成元年)、「CRYSTAL HARMONY」(平成2年)、「飛鳥」(平成3年)など。
  6. (6) 大学や気象庁の訓練船、海洋気象観測船が幾つか建造された。これらの船にはコンピュータ組込みの最新の計測装置が多数搭載されたので、船内のデータ処理やコンピュータ間の通信が行われ、これらはその後の商船でLANが広く使用される先駆けとなった。
  7. (7) 軽合金を使用した高速旅客船、カーフェリーが建造された。これらは高速性と操縦性が重視され、主機、CPP、バウスラスタ、スターンスラスタ等と組み合わせてジョイスティック操縦を行うなど操船が高度化した。
  8. (8) 超電導電磁推進実験船「ヤマト1」が建造された。(平成4年)
  9. (9) 内航船近代化研究の成果を折り込んだ船が建造された。「しりうす」、「八戸丸」、「鶴洋丸」など。
  10. (10) その他の目新しい船としては、DPS(Dynamic Positioning System)搭載の半没水双胴型海中作業実験船「かいよう」(昭和60年)、自航式半潜水型豪華ホテル フローテル(Floating Hotel)「POLY CONFIDENCE」(昭和62年)、オフセンター プロペラ 鉱石運搬船「尾上丸」(平成元年)、大型軽合金製200名乗り揺れない船「ヴォイジャ」(平成2年)、波浪貫通型高速双胴船「はやぶさ」(平成6年)などが挙げられる。

3. この10年のコンピュータ利用技術の進歩は著しかった。(まえがき)に触れたように16ビットCPU の利用が進み、また画像処理用のマイクロCPUの開発が進んだため、CRT + Keyboard の形で表示部の増設が可能となった。 コンソールにCRT2台組み込みは普通となり、平成3年に建造された Nedlloyd のコンテナ船では CRTが13台も装備され、船内の各所でデータの確認が可能となった。
また船舶の運航支援にコンピュータを利用して、トラブルの未然防止や予知、座礁や衝突の予知などを行うシステムが開発された。 例えば平成5年、三菱長崎の建造船に搭載された SUPER ASOS (Super Advanced Ship Operation System)では Super Bridge(航海関係)、Super Cargo(荷役関係)、Super Plant(機関部関係)で構成され、人工知能を用いて、船舶の運航を支援しようとするものである。 このようなシステムは当時、造船各社で競って開発された。 これにより Wheel House やEngine Control Space、Cargo Control Space の風景が変わり、配置がコンパクトにまとまってきた。

4. この時代に実施された省エネルギー対策は(まえがき)に記したように昭和50年代と大きくは変わっていないので、重複を避けるため繰り返さないが、目新しいと思われる項目を挙げると下記のようになる。
オフセンター プロペラ船の実用化、CRP(Contra-Rotating Propeller :二重反転プロペラ)の採用、Hi-Ten 材の使用による船体の軽量化、自己研磨型長期防汚塗料の採用、外部電源防食装置の採用、Total Navigation System の利用による最適航路の選定など。

5. 本稿に収録したのは、船 91隻で、写真は 船の写真を含めて 238枚である。 ここに収録した事例だけで昭和60年~平成6年の船の変遷を述べることはできないが、大よその傾向は掴めるものと思う。

6. Wheel House, Control Room に装備される機器やコンソールなどの変遷については別の報告書「電気部 装備機器の変遷」(その中の 3.航海システム、5.無線システム、6計装システム)を参照していただきたい。

以上

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