資料調査報告(No.10) : 2013年9月発行「日本の商船の電気技術史について」

2013年9月 保存委員会 委員 大谷昇一

まえがき

船舶に装備される電気関係の機器の変遷をテーマの一つとして取り上げ調査を続けているが、当保存委員会に寄贈された雑誌「船の科学」の中に、「シリーズ・日本の艦艇・商船の電気技術史」なる連載記事があるのを見つけたので、この中で商船関係について抜粋し要約・紹介しようと思う。
この連載は 1984年10月(VOL.37, NO.10) より始まり、1990年4月(VOL.43 NO.4)まで61回に亘り連載されたもので、この中で商船関係は 1986-2(VOL.39, NO.2) より1990-4(VOL43, NO.4)の間、24回に亘っている。
なお 本連載により取り上げられた時代は 「船の科学」社の依頼で、明治以前から第2次大戦終了時までとなっている。

「船の科学」のこの連載は第1章から第8章まであるが、そのうち第1章、第5章、第7章は艦艇関係なので、ここでは取り上げていない。 御参考までに、これらの章の題名と掲載号を下記する。

  • 第1章 艦艇の電気艤装・電気機器 1984-10 VOL.37 NO.10~1986-1 VOL.39 NO.1
  • 第5章 艦船消磁 1987-11 VOL.40 NO.11~1988-2 VOL.41 NO.2
  • 第7章 艦艇の無線兵器および電波兵器 1988-7 VOL.41 NO.7~1990-3 VOL.43 NO.3

なお、第2章「商船の電気艤装・電気機器」は長いので、ここでは下記 (1),(2),(3) のように3つに分けた。

1.第2章 商船の電気艤装・電気機器 (1)

徳永 勇

船舶電気関係の夜明けから明治大正時代まで
「船の科学」1986-2 (Vol.39, No.2) ~ 1986-7 (Vol.39, No.7)

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2.第2章 商船の電気艤装・電気機器 (2)

徳永 勇

昭和時代初期から第2次世界大戦終戦(昭和20年)まで
「船の科学」1986-8 (Vol.39, No.8) ~ 1986-12 (Vol.39, No.12)

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3.第2章 商船の電気艤装・電気機器 (3)

徳永 勇

(戦時標準船の電気機器、電動甲板機械の変遷)
「船の科学」1987-1 (Vol.40, No.1) ~ 1987-5 (Vol.40, No.5)

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4.第3章 航海計器

庄司和民

「船の科学」1987-6 (Vol.40, No.6) ~ 1987-7 (Vol.40, No.7)

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5.第4章 水中音響機器

桑原 新、久山多美男

「船の科学」1987-8 (Vol.40, No.8) ~ 1987-9 (Vol.40, No.9)

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6.第6章 電気推進

森田 豊

「船の科学」1988-4 (Vol.41, No.4 ~ 1988-6 (Vol.41, No.6 )

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7.第8章 商船の無線機器

津田圭一郎、進藤幸三郎

「船の科学」1990-4 (Vol.43, No.4)

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あとがき、特記事項など

1.

本稿は(まえがき)に記したように、「船の科学」の「日本の艦船・商船の電気技術史」の連載記事の中から、商船の電気技術史 24回分を抜粋・要約したものである。

2.

取上げられた時代は 明治以前から第2次世界大戦終了(昭和20年)までである。 商船の電気技術史としては 戦後の方が多彩で変化に富み、内容も豊かであるが、明治以前から終戦時までの変遷は今では資料の入手も困難なので、ここに取り上げられた資料は貴重である。

なお、戦後から2000年頃までの電気機器の変遷は別の調査報告「電気部 装備機器の変遷」(2009-10)や「技術専門雑誌による船舶電気技術関係記事年表」(2012-6)などで、ある程度カバーされている。 従って本稿と併せれば、明治以前から2000年頃までの商船の電気技術の変遷は辿れることになる。

3.

「船の科学」の記事の中に掲載されている写真や機器の外形図、結線図などは不鮮明なものが多いので、かなり削らざるを得なかったが、技術史上重要な事項については文章で補うこととした。

4. 電気艤装、電気機器について

(1)明治以前に、直流発電機(フランス、1832)、直流電動機(ロシヤ、1835)、アーク灯(イギリス、 1807)、充電可能な蓄電池(フランス、1859)など 開発されていた。 電池と直流電動機をつなぎ小型船(14人乗り)を動かしている(ロシヤ、1839)(電気推進の始まり)。

(2)明治に入ると、白熱電球(ロシヤ、1873)や電話機(アメリカ、1875)が実用化されている。
エジソンが日本の竹を使って炭素電球を発明した(1881)のはよく知られている。 白熱電球は明治16年(1883)にはアメリカのトレントン号に247灯も装備されたとのこと。 実用化されると普及も非常に早いのは驚くばかりである。
蛍光灯は昭和13年GEで開発され、日本では東芝が昭和15年に製作した。 初めて船に装備されたのは昭和17年、日本郵船 高島丸(5,634GT)であった。

(3)貨物船、客船の電気設備要目が幾つか掲載されている。 代表的な船と、年代(進水)、主発電機容量を示す。

・明治・大正時代

日光丸(明治36年、1903) 36kW,100V DC 2台 レシプロ
天洋丸(明治40年、1907) 75kW,100V DC 2台 汽機
諏訪丸(大正3年、1914) 85kW,100V DC 2台 汽機
筥崎丸(大正11年、1922) 125kW,100V DC 2台 ギヤード・タービン
飛鳥丸(大正13年、1924) 100kW,225V DC 3台 ディーゼル
さんとす丸(大正14年、1925) 150kW,225V DC 台 ディーゼル

・昭和初期から終戦まで

浅間丸(昭和3年、1928) 450kW,225V,DC 4台
氷川丸(昭和4年、1929) 325kW,225V,DC 3台 ディーゼル
能登丸(昭和9年、1934) 260kW,225V,DC 3台 ディーゼル
赤城丸(昭和11年、1936) 220kW,225V,DC 3台 ディーゼル
あるぜんちな丸(昭和13年、1938) 430kW,225V,DC 3台 ディーゼル
新田丸(昭和14年、1939) 600kW,225V,DC 3台 ディーゼル
戦時標準船(昭和18年以降、1943) 30kW,105V,DC 2台

発電機容量は 明治時代は100kW程度、大正では 300kW、昭和に入ると多いものでは 1800kWとなっているが、戦時標準船になると60kW程度と急減している。

(4)昭和初年頃には浅間丸、秩父丸など豪華客船が多く建造された。 秩父丸では 電気艤装品は エレベータ、自動防火扉、火災探知器などかなり充実している。 航海計器もジャイロコンパス、ジャイロパイロット、サルログ、テレグラフなど装備されていて、電灯は約5000灯もある。 これらは殆んど輸入品であった。

(5)艤装品の国産化は大正末ごろから始まったが、全面的に国産化を目指したのは 昭和9年頃からである。 昭和13~14年にかけて建造された あるぜんちな丸、ぶらじる丸では、艤装品は全て国産品であった。

(6)昭和11年に、交流船が出現した。 鉄道省の関釜連絡船 金剛丸、興安丸の2隻である(発電機は500kW,60Hz,3相 3台)。 当時は交流発電機の並列運転が難しかったので、交流化はなかなか進まなかった。

(7)昭和時代に建造された優秀船は殆んど軍用に転用され、残念ながら生き残らなかった。 病院船に改造された氷川丸だけが戦禍を免れ、戦後復員船として活躍した。

(8)昭和18年以降は戦時標準船の建造が行われた。 建造を効率的に行うため、艤装法の標準化や艤装品の規格化が急ぎ行われた。 対象になった艤装品は 電線、発電機とエンジン、配電盤、電動機、航海機器、扇風機、照明器具類、船内通信機器、蓄電池、電動交流発電機(無線用)、充放電盤などである。

(9)明治の末頃から、甲板機械の電動化が進められたが、昭和に入ると加速された。 電動ウインチ、電動ウインドラス、キャプスタン、全電気式操舵装置などである。

5. 航海計器について

明治・大正時代は 航海計器としては磁気コンパス、曳航ログなど種類も少なく簡素であった。 大正末から昭和にかけて、ジャイロコンパス、圧力式ログ、音響測深機が開発された。 日本の商船で最初にジャイロコンパスが装備されたのは、山下汽船の北米丸(大正11年、1922、スペリー)であった。 また圧力式ログ(サルログ)は昭和2年(1927)鉄道連絡船 亜庭丸に最初に装備された。

6. 水中音響機器について

商船に関係のあるものは、水深を計測する音響測深機であるが、その開発の歴史が述べられている。 技術的な問題は、水中音の発射、受信、発受信間の時間の計測などであるが、それらに対してどう対応したかが書かれていて興味深い。

7. 電気推進装置について

(1)電気推進方式は意外に早くから注目されていて、まず艦船に採用され、次いで商船に応用されるようになった。 ここではアメリカ、イギリス、フランスおよび我が国の取組み、実績が紹介されている。

(2)戦前の電気推進装置で出力が最大のものはアメリカの空母 レキシントン(昭和2年完成)の18万馬力、速力 33.7ノットであった。

(3)我が国で最初に電気推進装置が採用されたのは、東洋汽船の貨物船 美洋丸(大正9年 1920 進水、5470トン、1300PS-2)であった。

8. 商船の無線機器について

(1)無線通信の開拓者として、ファラデー、モールス、マックスウェル、ヘルツ、マルコーニなどが挙げられ、その業績が簡単に紹介されている。

(2)ファラデー、ヘルツ、マルコー二らが行った実験装置が図解されている。このような記事は余り見 かけないので貴重な資料で興味深い。 そのマルコーニの無線電信の実験(1896)から、100年程で、船舶の無線システムはGMDSS(Global Maritime Distress and Safety System)に移行し、人工衛星を使った無線電話、VHF,MF,HFの無線電話からなる電話を主体としたシステムとなっている。僅かの期間での変化の大きさには驚かされる。

(3)第2次世界大戦終了(昭和20年)までに、国際無線電信会議が5回開催され、無線について重要な決定がなされた。

  • 第1回 明治39年(1906)、ベルリンにて開催
    当時、商船の無線機器はイギリスのマルコーニ社の独占状態であったので、ドイツの テレフンケン社がドイツで会議を開催し巻き返しを図ろうとした。 そして外航船の相互 通信のための無線機の装備と緊急遭難信号 SOS の常時聴取義務の提案を行ったが、 イギリス、イタリアの反対でこの提案は却下された。
  • 第2回 大正元年(1912)、ロンドンにて開催
    タイタニック号の大惨事を受けて開催された。前回のドイツの提案が採択された。
  • 第3回 昭和2年(1927)、ワシントンにて開催
    短波帯の使用について議論され、使用周波数などが決定された。
  • 第4回 昭和7年(1932)、 マドリッドにて開催
    火花送信機の通常使用禁止(緊急遭難時は除く)、無線方位測定機の周波数決定
  • 第5回 昭和13年(1938)、カイロにて開催
    送信周波数の許容偏差が長波、中波、短波共に厳しくなった(水晶発振方式に移行)。

(4)大まかに見ると、明治・大正時代は 長波、中波の火花放電式送信の時代であったが、昭和に入り真空管の進歩があり、電力増幅管による送信方式となり、短波帯の導入も進んだ。真空管の出現により大きな変化がもたらされた。

以上

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