大湊造船徒弟学校における修業制度の創設と看過

大湊造船徒弟学校における修業制度の創設と看過
-デュアルシステム整備の可能性と未発達の要因-

田中萬年 (Tanaka Kazutoshi)
名古屋大学 『技術教育学の探求』 vol.14, 2016, p.21-40

田中萬年様から投稿を頂戴しました

2016.06.10 造船資料保存委員会 藤村 洋

今般、八王子市在住の田中萬年氏から 「大湊造船徒弟学校における修業制度の創設と看過」 と題する論文の投稿を頂戴した。 この論文は同氏が名古屋大学の 「技術教育学の探求」 誌に寄稿されたものであるが、当委員会の資料調査報告(No.2) 2010年3月発行 「工業高校における造船教育の軌跡」 に関連ある論文であるので投稿頂いたと思われる。
田中氏は職業教育について関心を持って教育学の立場から研究をされておられるので、造船史に関心をもつ我々とは若干立場を異にするが、大湊造船徒弟学校の実情について詳しく述べておられるので参考にさせて頂けると考えている。 また、工業部門における職業教育についてご研究の成果に基づくご意見を述べておられる。 大学教育も含めて職業教育が話題になっている時でもある。 是非お読み下さい。

大湊造船徒弟学校における修業制度の創設と看過

田中萬年

20ページ、 pdf 2.5MB:本文を読む

わが国の徒弟学校(規程の制定は 1894 《明治 27 》年)は1921(大正10)年の「工業学校規程」改正により廃止されたが、1899(明治32)年の「工業学校規程」の制定以降にも徒弟学校は増設されている。
徒弟学校は女子校が多数であり工業学校になったのは甲種20、乙種27 校で2割弱であった。
実態的には1916(大正5)年の「工場法施行令」による徒弟制度の法令化以降に急激に転換・廃止されていた。

上のような変化の例外校として大湊造船徒弟学校(現三重県立伊勢工業高等学校)があった。
大湊造船徒弟学校は1922(大正11)年以降も同名を使用していたのである。

地域産業と住民から支持され優秀な造船職工を排出し存続した大湊造船徒弟学校も1928(昭和3)年に工業学校に転換したが、実態の運営は変わらず、地域の支持と支援を受けた”徒弟学校”のままであった。
つまり、受講者の学歴が上がっても、実業の能力の修得のためには企業での実習が必要であったということを考えれば、優良な職工を養成するためには「修業制度」の継続は当然な運営であった。
「修業制度」は職業能力開発(職業教育・実業教育を含む)の在り方を今日に問うていると言える。

目次

  1. はじめに
  2. 1.大湊造船徒弟学校の設立と経過
  3. 2.大湊造船徒弟学校の諸規程
    • 入学志願者心得
    • 生徒心得
    • 大湊造船徒弟学校学則
  4. 3.大湊造船徒弟学校の実情
  5. 4.地元造船所との修業制度(日本的デュアルシステム)の内容
  6. 5.生徒の状況と修了生の評価
    • 教育訓練の実情(卒業生の寄稿文が『七十年史』に紹介)
    • 卒業生の実情と評価(『七十年史』に卒業生の成績(大正3年度))
  7. 6.大湊造船徒弟学校が遺した課題
  8. おわりに

ページの一番上へ