「真空管」に想う
「真空管」に想う
― 懐かしさと憧れと哀しさ ―
2010年3月10日
保存委員会 委員 大谷昇一
東大から寄贈された物品の中に真空管が含まれていて、南波壯八さんより何時までということはないが調べてくれないかとの依頼がありましので、深江の作業室の環境が昨年末整備されたことでもあり、本年の初めより調査をスタートすることにしました。その矢先の1月6日に南波さんが急逝されたので、この作業は彼からの遺言のようなものになってしまいました。
そういうことで、期限はいつまでと明示されてはいませんでしたが、彼も気にしていたことでもあり、また東大から受け取ったのが 2009年4月20日なので、何時までも放っておくのは寄贈者に対して失礼になるから、せめて1年以内に拙速でも何らかのレポートが出来るようにしようと少しピッチを上げることにしました。
真空管と言ってもいろいろ種類がありますが、私が初めて興味を持った中学2年生頃 (昭和26年)は電球を少し細くしたようなST管が全盛であり、丁度5球スーパが新方式のラジオとして喧伝された時代でありました。従って真空管と聞くと今でもST管を思い出し懐かしい思いがこみ上げます。
その後、昭和28年から30年にかけて、GT管、ミニアチュア管が現れ、昭和30年代はミニアチュア管全盛の時代となりました。
今回受け取った真空管は総数185本で、種類別に見ると、GT管5本、オクタルベース・ガラス管5本、ミニアチュア管175本で、大半はミニアチュア管でした。
このことから、これらの真空管は昭和30年頃から40年頃まで研究室で使用されたものと思われます。
主な用途は殆んどが電流増幅用であることから、計測回路の終段に用いられメータを振らせたり、記録計を駆動するのに使用されたものと推測されます。
なお、調査は「無線工学ハンドブック」(昭和37年版) に載っている真空管リストをベースに行ないましたが、
136本については要目が判明したものの、残りの49本については
- 1.真空管本体に印字されていた文字が消えていて型式名が読めない、
- 2.型式名は分かるがリストに該当するものがない、
- 3.外国の製品でリストに載っていない などで 現時点では調査できていません。
真空管がよくもこれだけ多数残っていたと驚く方も多いことと思いますが、真空管は電球程でないにしてもよく切れていたのでしょうか、実験に支障をきたさないようスペアとして確保されていたのではないかと思います。また次に述べるように、かなり高価なので貴重品として扱われ、捨てるには忍びなかったのではないかと拝察します。
東大から送付されてきた真空管を入れた箱(引き出し)の中に真空管を1本ずつ入れる紙製のミニアチュア管用のケースが入っていましたが、そのケースに正価800円と印字されていました。昭和30年代半ば、大卒の初任給が15,000円に届かない時代の800円ですから相当高価だと思いますし、真空管が貴重品として扱われたのは分かるような気がします。
私は昭和36年、新三菱重工業に入社しましたが、初任給の提示は確か14,000円位で、入社してからベースアップが2,000円ほどあって16,000円となりましたが、新入社員の教育のとき本社の総務部長(?)より「あんたらは何の努力もしてないのに2,000円もアップした」と皮肉交じりに言われたことを憶えています。
このように当時の初任給をベースにして比較するとミニアチュア管の価格は相当高かったように思います。昭和30年ごろの少年の私にはとても手が届かない品物でした。結局当時の小遣いではミニアチュア管は購入することはできず、高嶺の花で憧れの存在として今日に到りましたが、もうそんなことは忘れてしまったこの歳になって、お宝とも言うべきミニアチュア管に囲まれることになろうとは思いもしないことでした。
ミニアチュア管は昭和20年代に活躍したST管に比べかなり小形 ( 高さで約1/2,容積比で1/4~1/5) であり、高性能化(増幅度など)や複合化(例えば三極五極管、双三極管など)や低消費電力化が進み、昭和30年代には全盛期を迎えましたが、トランジスタやICの出現により、その座を追われることになりました。
初期のトランジスタ(昭和30年代初め)はゲルマニウム系だったので温度変化に弱く計測用としては不安定だったと思いますが、シリコン系の素子の開発により温度変化に強いものが出てきて、真空管の出番は徐々になくなっていきました。あれだけ重用された真空管がトランジスタやICの出現により消滅していったことに一抹の淋しさと哀しさを感じない訳には行きません。
寄贈された真空管のメーカには、東芝、NEC,松下、神戸工業(テン)、シャープなどの一流メーカを差し置いてマツダの名前が一番多く見られました。マツダという会社がどんな会社で今どうなっているか全く知りませんが、この名前には記憶があります。昭和28、29年ごろ私が大阪の日本橋の電気街によく行き、真空管を物色していたころ、安くて手が届きそうなのはマツダの製品でした。当時ST管で一本平均150円位だったと記憶しています。東大の研究室の方々も安い真空管を求めて秋葉原の電気街に足を運んでおられたのかなと思うと面白くまた共感を覚えたことでした。
上述したように、真空管が活躍した時代は私の青春と重なります。そしてその活躍と共に消滅も見なければならなかったのです。従って「真空管」と聞くと表題に記しましたように 「懐かしさと憧れと哀しさ」 を感じざるを得ないのです。