フランス海軍士官の記録した「日本の古い舟」

2010.01.21 藤村 洋

保存委員会の番号182005に「日本の古い舟」の記録が登録されている。この記録集は私が20年あまり前にある外国人から貰ったものである。

その由来は次のようなことである。私が住んでいる神戸の中央区の東端は、昔は「葺合区」といっていたところで、坂を少し下ったあたりは「原田の森」といっていたところである。関西学院が創立当初はこの森にあったので今も当時のチャペルのレンガ建が保存されている。その様ないわば古い神戸の東の端、摩耶山の山裾に当たるところであった。

昭和のはじめ、ここに外人向けの借家が10数軒建てられた。我が家はその中の1軒がたまたま一つだけ落ちた焼夷弾によって焼けた跡に建てた。我々が住み始めた頃はまだ外人借家の雰囲気が残っていたので、住人は多国籍であった。いわくドイツ人、トルコ人、日本人に嫁いだ英国婦人、白系ロシア人などなどであった。

ある日のこと、会社から帰った私に妻が「今日外人が来てこんな物を呉れたわ」と言ってフランス語で書かれた舟の図面の束を差し出した。我が家の2軒隣に昔住んでいたという外国人であった。当時は少年で「たしかにこの辺に僕が落書きをした。それを探しに来たんだ。石垣に書いたのが残っていた」といって表にいた妻に嬉しそうに言って挨拶した、そして話の後で「あなたの連れ合いが造船屋だったらこれには興味があるだろう」と言ってこの図面を呉れたと言うことだった。

いかにも神戸らしい話であるが、その外国人が何国人であるか、何故舟の図面などを持っていたのかなど肝心のことを妻は尋ねて居なかった。そして貰った私も忙しいままに20年も放置していた。このたび保存活動を始めたので、珍しい図面だから寄贈しようと思って仔細に眺めてみて驚いた。フランス語でしかも筆記体で説明が書いてあるので詳しいことは判らないが、1868年と言えば徳川幕府が大政奉還した翌年、戊辰戦争があり明治と改元した年である。

その当時フランスは幕府の味方として軍艦を日本に派遣していたのであろうが、日本の各地、神戸、大阪、京都、横浜、江戸湾、函館といったところで日本の舟のスケッチをし、構造・寸法を調べて詳しい報告を書いている。表題に「Paris」とあるのでパリのことかと思ったが、どうもよく判らない。人名らしいとインターネットで調べてみたらいろいろなことが判ってきた。

そして、2009年6月海外旅行の途次見学したパリのフランス国立海事博物館で買い求めたスーベニアガイドブック “Treasures”を読んでさらにいろいろ知ることが出来た。この詳細かつ正確な記録を書いた人は「Armand Paris海軍大尉(当時)」であり、かれは海軍提督でありかつ海事博物館の館長などを務めた「Francois Edmond Paris」の息子であった。

航海の途次日本、コーチシナ、アメリカなどでそれぞれの国固有の舟の調査を行って父の事業を助けたとされている。当時フランスはEthnography(民族誌学)に熱心であったらしくその成果は海事博物館の収集物のおおきな部分を占めている。A.Parisが記録した「江戸湾の漁師のボート」は竜骨が湾曲している面白い舟であるが、この記録を元に模型が作られ今も海事博物館の資料として納められていることが “Teasures” に写真と共に記載されている。この記録の記載内容はフランス語に堪能な方が読めばさらに詳しいことが判るであろうが、私には十分解読できないのが残念である。

余談になるが、インターネットで調べているときに「INEBOLU」というタイトルのページが出てきた「”PEREME KUTUGU” from INEBOLU : The Last “Shell First” Construction survived in the Black Sea」という報告文であり「5th International Symposium on Ship Construction in Antiquity」というシンポジウムで発表されたものらしい。”Shell First” Constructionと言う言葉は初めて聞いたが、外板を先に置いて組み立てる木船工法のことらしい。日本では珍しくないと思うが地中海地方にもこのような工法があったらしく、A.Parisはこのような工法についても造詣が深かったと書かれている。

因みに別途調査中の「大崎木江工高造船科の軌跡」に関連してKシニアメンバーから「昔、大崎では “3枚” と称する簡単な舟に乗って遊んだ」というお話しを伺った。これも多分 “Shell First” Construction だったのではないだろうか。名前も知らない外国人が呉れた資料から思わぬ発見があり、それから芋づる式にいろんな話になってしまったが、保存活動の面白さを実感したことをお知らせしたかったので筆を執った次第である。



Original Documents

  1. 1 ”Treasures of the Musee national de la Marine”
  2. 2 ”Souvenirs de Marine Conserves” France
(図番) (内容)
No.11 1868年 神戸で採録「fune」
No.12 1868年 神戸で採録「fune」(No.11と同じものの断面、線図、構造など)
No.13 1868年 大阪の川で採録「Galere](櫓櫂船)
No.14 1868年 大阪の川で採録「prince Wasimaの紋章を掲げたGalere」
N0.15 1868年 横浜で採録 「Petite Galere」(上)、江戸湾で採録「漁師のボート」(下)
No.16 1869年 函館で採録 「北の船(北前船か?)」
No.17 1869年 函館で採録 (No.16と同じものの断面、線図、構造など
No.21 1868年 京都、大阪で採録「川のボート」、北日本の漁師のボート
No.23 日本ならびにコーチシナのボートの寸法、諸数値。構造などについての注記
最後の絵 No.15に記載の江戸湾の「漁師のボート」をもとに作られた模型、現在はパリ海事博物館に飾られている。(同館 “Treasure” から転記)

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