資料調査報告(No.9) : 2012年6月発行「昭和40年代の超自動化船について」
2012年3月 保存委員会 委員 大谷昇一
まえがき
昭和40年代はミニ・コンピュータを利用した超自動化船が多数建造された時代であった。 当時造船業界は非常に忙しく、「利益なき繁忙」と揶揄されることもあったが、新しい機器の開発や、設計や現場のシステム開発のテーマは多くあり、まさに夢のある華やかな時代であったと記憶している。
超自動化船の検討は、昭和42年頃、運輸省船舶局を中心に学識経験者、海運界、造船業界、関連工業会、関係団体および関係官庁からなる「船舶の高度集中制御方式総合研究委員会」が設立されたことにより始められた。 そしてその開発成果は昭和45年頃から実船に適用されていったのである。
その背景としては
- 1)世界的に乗組員が不足する傾向にあった。
- 2)船舶が大型化しまた高速化したことに伴い航行安全の確保の要請が高まった。
- 3)昭和30年代より主機リモコンを始め、計装システムへの自動化の機運が高まっていた。
- 4)陸上では工場のオートメーションが進んでいて船舶への適用が望まれていた。
- 5)上記によりミニ・コンピュータの価格が低下傾向にあり、また計装・制御分野ではシステムの電子化が進められていた。
- 6)我が国では高度経済成長の進展に伴い人件費が上昇していたので、機械化による人件費の削減が課題となりつつあった。
などが挙げられる。
またコンピュータによる制御・監視対象としては
- 1)航法システム (船位測定、衝突予防システム)
- 2)艤装システム (船位保持、荷役システム)
- 3)機関システム (機関制御システム、機関監視システム)
- 4)船全体を取りまとめるトータル・システム
などである。
超自動化船とは、本来なら上記のシステムの全てを、コンピュータを用いて実現したものとすべきかと思うが、コンピュータの性能がまだ低かったし、まだ高価でもあったので、全てを網羅している船は少ない。 従って、ここではミニ・コンピュータを用いて上記システムの一つでも実現しているものは取り上げることにする。 また超自動化船の概要、適用システムの概要、ミニ・コンピュータの要目などの資料を集めるのは、もう40年も経っているので困難である。 そこで、ここでは当保存委員会に寄贈された書籍、主として雑誌「船の科学」の記事をベースにまとめることにした。
ここで取り上げた船は下記の通りである。
船名 | 船主 | 建造所 | 竣工日 | |
---|---|---|---|---|
1 | 星光丸 (pdf 1.5MB) |
三光汽船(株) | 石川島播磨重工業(株) | 昭和45年 9月19日 |
2 | 新幡丸 (pdf 1.1MB) |
山下新日本汽船(株) | 日立造船(株)因島工場 | 昭和45年10月 9日 |
3 | 三峰山丸 (pdf 2.1MB) |
大阪商船三井(株) | 三井造船(株) | 昭和46年 1月20日 |
4 | 新鶴丸 (pdf 1.2MB) |
山下新日本汽船(株) | 日立造船(株)因島工場 | 昭和46年 9月14日 |
5 | 錦江丸 (pdf 1.3MB) |
昭和海運(株) | 日本鋼管(株) | 昭和47年 2月25日 |
6 | 大津川丸 (pdf 1.6MB) |
川崎汽船(株) | 川崎重工業(株)神戸工場 | 昭和47年 9月 5日 |
7 | 鳥取丸 (pdf 2.8MB) |
日本郵船(株) | 三菱重工業(株)長崎 | 昭和47年 9月 5日 |
8 | 香取丸 (pdf 1.9MB) |
第一中央汽船(株) | 住友重機械工業(株) | 昭和48年 7月16日 |
調査概要と特記事項
1.本稿は、雑誌「船の科学」に掲載された超自動化船の記事を抜粋・要約したものである。当保存委員会の役目は、簡単に述べれば
- [1]造船関係の古い資料、書籍、物品を収集する、
- [2]それらを調査・整理して外部に発信することにある
と考える。そう云う観点から、昭和40年代の超自動化船について取り上げ紹介するのは意味のあることと思う。
2.本稿を作成する前、インターネットで「超自動化船」を検索してみた。さすがに第1船の星光丸については航海記など多数の記事があり、また鳥取丸の荷役システムについての記事はあったが、その他の船については見つけることが出来なかった。 そう云う観点からも、本稿のように全体を包含する情報はあってもよいと思う。
3.超自動化船が次々と建造された昭和40年代は造船業界の華やかな時代であった。これらの船に搭載されたミニ・コンピュータは、メーカのソフト込みで3~4億円とも云われた。造船所も特別なプロジェクト・チームを組んでシステム設計に当たり、また船には空調完備のコンピュータ・ルームを設けたり、また機器間の大量の電線を捌くため床を2重構造にしたりと大変であった。 造船業華やかなりし時代であったから出来たことである。
4.人類は長い間、計算する機械に対し憧れを抱いてきたと云われる。 現在は至る所にコンピュータが使用されているので、その憧れは小さくなってきているが、昭和40年代には、まだコンピュータに対し過大な期待があったように思う。 コンピュータを使えば何でも出来るという期待と やらせてみると思ったほどは出来ないという失望が入り交じった時代でもあった。 従って最初計画したシステム設計をどんどん削って行かざるを得ないことも多々あったのではないかと推察する。
5.当時のミニ・コンピュータの仕様は、大略下記の通りで、一例を示す。
- ・ハードの構成 :
中央処理装置-1、補助記憶装置-1、入出力タイプライター-1、プロセス入出力装置-1、高速データ伝送装置-1これらは空調された部屋に装備された。 - ・主な仕様 :
16ビット・マシン、クロックは 1.5MHz、主メモリ 16K語、磁気ドラム 65K語×2、 Man Machine Interface は入出力タイプライター
なお、2002年に筆者が購入したパソコンは 32ビット・マシン、クロックは 1500MHz、 RAMは763MB,ハードディスクは 40GB となっている。制御用コンピュータとパソコンを単純に比較することは出来ないが、速度はパソコンの方が1000倍速く、メモリは数万倍のオーダで多いことになる。現在からみると、このような低性能のコンピュータを用いて、超自動化船を実現しようとした当時の関係者の努力に頭の下がる思いがする。
6.超自動化船で船内の全てのシステム (航法システム、荷役システム、機関システム) についてコンピュータ化を試みたのは 星光丸、鳥取丸、三峰山丸ぐらいである。 その他の船は2つ或いは1つのシステムについてだけコンピュータ化をやっている。 やはりコンピュータの処理能力の遅さ、メモリ容量の不足がネックになったものと思われる。
しかしコンピュータの能力はどの船も同じ程度なので、全てのシステムをコンピュータに乗せようとすればどこかで無理をしていると思われる。 入出力装置が沢山並んでいるのを見ると、かなりの部分を外部に負わせたのではないかと推測する。 当時はIC化された電子回路がかなり出回っていて、例えば演算増幅器(Operation Amp)など多く使われていた。 アナログ的な 加減乗除、微分、積分など簡単にやってしまう回路が、速度が必要な制御回路に使われたのではないかと思う。
だからと云ってコンピュータ化の価値が下がるものではない。 新しいことをやるには一つの技術だけが突出しているだけでは無理で、周辺の技術も上がっていないと実現できないものである。
一方、1つのシステムしかコンピュータ化していないからと云って価値が低い訳ではない。 その場合は、そのシステムの完成度は高かったのではないかと思う。全体システムの中で1つのシステムをサブ・システムとする考え方は当時からあった。 サブ・システムを集積すれば、本格的な超自動化船になるという考えで、ハード的には分散システムであるが、当時はミニ・コンピュータの価格が高かったので実現しなかった。
7.本稿で取り上げた超自動化船 8隻について 概要を見ると
- 1)船の種類 : タンカー 4隻、鉱石運搬船 2隻、鉱石兼油槽船 1隻、撒積貨物船 1隻
- 2)主機 : タービン 2隻、 ディーゼル機関 6隻
- 3)コンピュータ 適用システム
注) | |
航法システム : 6隻 | 3システム適用 : 3隻 |
荷役システム : 4隻 タンカーに適用 | 2システム適用 : 2隻 |
機関システム : 6隻 | 1システム適用 : 3隻 |
となっている。 航法システムについては 衝突予防、船位測定、船位推定、航跡自動記録、定時情報自動受信など、荷役システムについては 荷役・バラスト注排水制御(ポンプ、バルブの開閉制御)、 船体の姿勢、強度監視など、機関システムについては データ・ロギング、主機のトルク制御、長期トレンドの採取によるトラブル診断など多岐に亘っている。 これは超自動化船には実験船的性格があったためと思われるが、次の時代に遺した資産は大きかったと思う。
8.昭和40年代の半ば、人工衛星を利用した航法システム NNSS(Navy Navigation Satellite System )が華々しく登場し、超自動化船にも採用され、業界の注目の的になったが、現在では GPS(Global Positioning System )に全て置き換わっている。 これらのシステムでは衛星の正確な位置をベースに船位計算を行うが、計算量が多いので、コンピュータが手軽に安価に使用できるようになって初めて実用化されたものである。
現在は携帯電話にもGPSが搭載されるような時代になった。 将に隔世の感がする。
9.昭和50年代は造船不況となり、超自動化船は建造されなくなった。 それは、昭和46年8月のニクソン・ショックによりドルと金の交換(それまでは金1オンス(ab.31.10g)=35ドルで交換)が停止されたため、物価が高騰し、それにつれ人件費も大幅に上昇したので、船価も上昇したこと、さらに昭和48年2月に為替が固定相場制から変動相場制に変わり(それまでは1ドル=360円)、1ドル=270~300円 の円高となり対外的に造船の競争力がなくなったことによる。
その上昭和48年から49年にかけて、中東戦争の影響もあって原油価格が1バーレル 3ドルから12ドルに上昇した。 これらによりインフレとなり、人件費が大幅に上がったため乗組員の数を減らす省人化の検討は進められたが、超自動化船の建造という壮大な試みは挫折(?)したことになった。なお余談だが、現在(2012年2月)は 1ドル=76~81円台である。 360円時代から現在に至るまで造船界のみならず、日本の産業界がこの円高に対応するため、如何に血の滲むような努力を重ねてこなければならなかったかを思うとき、当時の円高(1ドル=270円程度)はまだ入り口に過ぎなかったことが分かる。
10.一方、昭和45年頃(1970年)から、マイクロ・コンピュータ(以下マイコン)が出現した。当初は4ビットのマシンで、とてもミニ・コンピュータに取って代わるようなものではなかったが、その後、8ビット、16ビットと発展し、現在は32ビットとなっている。 船舶によく採用されるようになったのは昭和55年(1980年)以降で、16ビットのマイコンが実用化されてからである。
ソフト面では、高級言語が開発され、Man Machine Interface としてカラーCRT(Graphic Display)が使用されるようになったことも大きい。
従って、超自動化船で検討されたことは、マイコンを使ったシステムに受け継がれ、分散型システムとして実現することになった。
11.1990年代に入ると、32ビットのマイコンが現れ、1995年の暮れには Windows 95 が発売され、個人が Personal Use として32ビットのコンピュータを使用できるようになった。 メールができ、インターネット に接続可能な機械の出現は、工業界にも大きな影響を及ぼし、2000年代に入ると、インターネット計装が実現された。
船内のマイコンを含む各種機器(機関部のデータ・ロガーやバルブ・コントロール・システムなど)の上位にパソコンのネットワークが形成されるようになり、陸上との通信が可能となってきた。
それまでは船内だけで完結していたシステムが外部とつながるようになり、例えば、船社の船の運航管理システム、積荷の管理システム、機器メーカの機器の診断システム、予備品の管理システムなどに利用可能となってきた。
以上述べたマイコンの変遷は、昭和40年代の超自動化船とは直接関係はないが、船の制御・監視システムがその後どんな流れに乗って変わって行ったかを示すため、簡単に触れて見たものである。
12.乗組員の人数の変遷についても少し触れて見る。
昭和30年代は40名程度で、昭和44年頃、M0船の出現で32名程度となった。超自動化船では28~45名である。 昭和55年頃、官民一体で「近代化実証船」のプロジェクトが持たれ、その検討結果、11名運航船が何隻か実現された。 この時代、「B1ブリッジ」即ちブリッジ1名当直という構想が出されたが、これはブリッジに航海・機関・無線に関する情報を全て集め、関連機器の集中監視・制御をやろうとするもので、これらの成果を折り込んで11名と云うことであった。
人員の配置はブリッジに船長を含め2名、機関室に機関長を含め2名、船首、船尾の係船作業にそれぞれ3名、司厨員1名で計11名である。 これが限度だとされた。
昭和60年頃、「超近代化プロジェクト」が持たれ、4名船構想が出されたが、これは実現しなかったようである。 その頃には、外国人乗組員との混乗化や便宜船籍化が進み、日本国籍船は少なくなり、また日本国籍船でも船長と機関長以外は外国人船員と云う形に変わっていった。
13.本稿では、昭和40年代の超自動化船の概要については触れたが、金華山丸に始まる自動化船の変遷や超自動化船の開発経緯、問題点、開発手法(船内作業の分析、配員計画の検討など)には余り触れてない。 それらについて本格的に知りたい方は下記の文献を参照されたい。
- (1)日本造船研究協会 第106研究部会の報告書 昭和47年3月 「船舶の高度集中制御方式の研究」
(2)「超自動化船とコンピュータ」 日本郵船(株) 徳田迪夫、上田一郎著 海文堂 昭和46年3月10日 初版
(3)関西造船協会誌 148号(1973-11) 「超自動化船開発の現状と将来」日立造船(株) 佐藤武著
(4)日本機関学会誌 昭和45年2月号 「自動化船の歩み」 (株)北辰電機 寺本俊二著
(5)日本機関学会誌 昭和63年8月号 「自動化船の推移と動向」三菱重工業(株) 平井 忠著
以上