資料調査報告(No.13) : 2015年1月発行「WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM 今昔(3) 」 ~ 昭和50年代 ~

2015年1月 保存委員会 委員 大谷昇一

まえがき

前回の報告書 「WHEEL HOUSE , CONTROL ROOM 今昔(2)」 では、昭和40年代を取り上げたが、本稿ではそれに続き、昭和50年代を取り上げる。 写真は前回と同様、「船の科学」などの雑誌から収集した。
昭和40年代は、造船は超繁忙の時代であったが、昭和50年代は、円高が進み原油が高騰し、また人件費も大幅に上がり船価も上がったので、一転して仕事量が減り不況となった。 これらに対応するため、少人数船の検討や省エネルギーシステムの検討が主要なテーマとなっていった。

建造船については、昭和40年代の流れを受け、タンカー、ばら積船、コンテナ船、自動車専用運搬船、多目的貨物船などのほか、新しく重量物運搬船やLNG 船などがあるが、全体としては大きくは変わらない。 しかし、内容的には 少人数化、省エネ化の検討結果が折り込まれていき、その面では大きな変化があったと言えよう。
制御技術面では、これも昭和40年代の流れを受け、マイクロ・エレクトロニクス技術が大きく進歩した。
1970年(昭和45年)に電卓用として4ビットのマイクロ・コンピュータが開発されたが、当初はこれがミニコンピュータに取って代るものとは考えられなかった。 しかし昭和50年代にはそれが8ビット、後半には16ビットと進化し、性能が向上し制御・監視システムに使用されるようになった。
昭和40年代にはミニコンピュータを使用した超自動化船が開発されたが、この当時は1台のミニコンピュータに多くの仕事をやらせる高度集中制御方式であった。それに対し、昭和50年代には、進化したマイクロ・コンピュータを多数使用した分散型のコンピュータ・システムが採用されるようになった。 これらは少人数化、省エネ化のシステムの実用化に大いに活用された。

経済面については、昭和50年代は ドル・円は290~240円程度、原油は1バーレル 30ドル程度であった。 その後の急激な変動を考えると、小康状態を保っていたと言えよう。

省エネルギー対策については、ここでは Wheel House が主体なので余り触れる訳にはいかないが、様々な対策が取られた。大まかに挙げると、低速主機+大直径プロペラ、粗悪油使用、排ガス・エコノマイザー+ターボ発電機、軸発電機、空気抵抗の少ない居住区の採用など実に多様であった。 また帆船まで登場した。 これら各社各様の対策を現時点で眺めると、当時の船社や造船所の関係者の方々の意気込みを感じる。

少人数化船については、昭和50年当時30名程だった乗組員を、まず18名に、次いで14名に、さらに11名へと検討が進められた。 11名船については昭和55年頃、官民一体の「近代化実証船プロジェクト」が発足し、その検討結果に基づいて昭和60年代に数隻建造されたが、その後は人件費の安い外国人船員との混乗が進んだ。
少人数化の進展に伴い、Wheel House は変わって行き、Engine Control Room, Radio Room の機能が Wheel House に集められるようになった。 これらの変遷を念頭に 下記のWheel House, Control Room の写真を見ていただければ幸いである。

1. 昭和50年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

0.8MB、4ページ:本文を読む

2. 昭和51年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

0.9MB、4ページ:本文を読む

3. 昭和52年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

1.0MB、5ページ:本文を読む

4. 昭和53年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

1.1MB、5ページ:本文を読む

5. 昭和54年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

1.2MB、6ページ:本文を読む

6. 昭和55年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

0.6MB、3ページ:本文を読む

7. 昭和56年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

0.8MB、3ページ:本文を読む

8. 昭和57年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

1.5MB、6ページ:本文を読む

9. 昭和58年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

1.2MB、6ページ:本文を読む

10. 昭和59年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

1.4MB、6ページ:本文を読む


あとがき/まとめ

1. 前報告書と同じように、昭和50年代の建造船の Wheel House, Control Room の写真を雑誌「船の科学」などから収集し並べてみた。

2. 建造船は昭和40年代に続き、昭和50年代もタンカー、ばら積船、コンテナ船、自動車専用運搬船、多目的貨物船、カーフェリーなどが多かったが、(まえがき)にも触れたように少人数化や省エネルギー化の検討がなされ折り込まれていった。

3. 昭和50年代の目新しい船は、本稿で取り上げた船の中からピックアップすると、重量物運搬船、双胴型高速旅客船、自航式石油掘削船、自航式潜水型クレーン船、自航式ポンプ浚渫/油回収船、海底油田刺激開発船、ケミカルタンカー、苛性ソーダ運搬船、海洋観測船、物理探鉱船、南極地域観測砕氷艦、高粘度・高比重原油運搬船、LNG運搬船、大型冷凍貨物船、ビチュメン(アスファルト)運搬船、COM (Coal & Oil Mixture) 専用運搬船など多彩である。難しい船が多いが、造船不況のなか仕事量確保のため各社が努力された結果だと思う。

4. 少人数化の対策としては、人手の多くかかる出入港作業の自動化(補機類の自動発停(Standby Sequence Control ))や船橋に Wheel House, Engine Control Room, Cargo Control Room の機能を集め一体化する Bridge One Man Control 方式が挙げられる。

5. この時代に検討され実施された省エネルギー対策をまとめると下記のようになる。

主機関係 減速運転、 低燃費低速ディーゼル、 低燃費・超ロングストローク型機関、ギヤード・ディーゼル機関の採用、 粗悪油使用、 主機の効率向上
プロペラ Duct Propeller、 大径プロペラ採用、 CPP による径年変化改善、大直径CPPの採用
排 熱 主機の排熱利用、 排ガス・エコノマイザー
船型構造 風圧抵抗の少ない船橋構造、 スリム船型、大型肥大船型(LV船型)の採用
電気関係 主軸駆動発電機の採用、 排ガス・エコノマイザー+ターボ発電機(ターボ発電機に負荷を負わす溢流分担)、 Power Management (自動同期投入、自動負荷分担など)
その他 ATフィン(プロペラ後方の回転流のエネルギーを推力に変換するフィン)の採用、 帆船の登場。

上記のように対策は多種多様である。
ここでは簡単にしか触れていないが、調査研究の大きなテーマになると思う。

6. この時代、タンカーの大型化がさらに進んだ。 本稿では取り上げていないが我が国で建造された最大のタンカー(50万トン、「ESSO ATLANTIC」昭和52年8月11日竣工 )が誕生した。 なお、同じ時期に外国では55トン タンカーが建造されている。 改造船では56万トンタンカー「SEAWISE GIANT」(42万から56万トン、昭和52年12月12日竣工)が報告されている。

7. 鉱石運搬船の大型化も進んだ。 世界最大 DWT 267,000 t (HITACHI VENTURE 昭和57年1月8日竣工) が建造された。

8. 国内向けの LNG 船が建造され始めたのは昭和58年からで、その後相次いで建造された。

9. 超合理化船が出現した(昭和54年、「きゃんべら丸」、「白馬丸」)。 昭和40年代の超自動化船に対し超合理化船と呼ばれた。 この船には、少人数化(18名船)、省エネルギー化の仕様が取り入れられた(出入港作業の合理化(補機のStandby Sequence Control、Bridge One Man Control 、排ガス・ターボ発電機、発電プラントのPower Management 等))。
制御システムには急速に進歩しつつあったマイクロ・コンピュータが多用された。 昭和40年代の超自動化船では1台のミニコンピュータで多くの仕事をやらせる高度集中制御方式が取られたが、超合理化船ではシステム毎にコンピュータを使用する分散制御方式がとられた。 白馬丸ではミニコン、マイコンの混在であるが、10台ものコンピュータが使用された。

10. 昭和45年頃から、衝突予防レーダや NNSS (Navy Navigation Satellite System 人工衛星を利用した測位システム)が使用され始めたが、昭和50年代の半ば頃からは、これらを統合した総合航海システムが国内でも開発された(それまではノルコンの Data Bridge)。 衝突予防情報、測位情報(現在位置、未来の推測位置、到達時間など)を計算・表示するもので、最短航路や最適航路の選定に活用された。

11. 昭和50年代はマイクロ・コンピュータの進歩が注目されるが、マイクロ・エレクトロニクス技術の進歩によりメモリーやシフトレジスタなどのIC素子の進歩も著しく、それらを利用して信号の多重伝送化か図られた。
それにより制御・監視システムは 「マイクロ・コンピュータ + 多重伝送システム + CRT」で構成されるようになった。 そのお陰で、信号点数の増大に対処することができた。例えば、コンテナ船で冷凍コンテナが600個あれば、コンテナ1個に付き4点の監視点があるので合計2,400 点もの信号を送らなければならなくなり電線の使用量が増大する。多重化すれば1本(5芯程度)の電線で信号を送ることができるので(Data High Way)、電線などの物量の増大を抑えることができた。

12. 本稿に収録したのは、船 68隻で、写真は 船の写真を含めて 203枚である。収録した事例だけで昭和50年代の船の変遷を述べることはできないが、大よその傾向は掴めるものと思う。

13. Wheel House, Control Room に装備される機器やコンソールなどの変遷については別の調査報告「電気部 装備機器の変遷」(その中の 3.航海システム、5.無線システム、6.計装システム)を参照していただきたい。

以上

ページの一番上へ