資料調査報告(No.19):2018年11月発行「船の図面”浅間丸”」

藤村 洋(造船資料保存委員会)

本件は船の図面を見て頂く資料であるが、同時に保存活動の一つのエピソードの紹介でもある。まずそのエピソードから紹介する。

あるエピソード

見て頂く日本郵船(株)の往時の客船浅間丸の図面は、東大運動性能研究室から頂いた 一連の資料の中に含まれていたものである。同船の図面の中「一般配置図:General Arrangement」は三菱重工(株)が作製した「豪華客船インテリア画集」の中にも附録として収録されている。前者すなわち東大資料の中に含まれていた図面には日本郵船の所蔵を示す丸判が原紙の段階で押されている、即ち郵船所蔵の図面から第2原紙を作りそれに何らかの書き込みをして青焼にした図面であることが判った。一方、「画集」の中に含まれているGA図は建造造船所すなわち三菱長崎の出図印が押されている、即ち新造完成時の図面である。

この違いに気付いたわれわれ調査員には「相違点はどこか」という好奇心が勃然として起こった。そこで2,3人が首を集めて、2組のGAの差を探した。多くのものが書き込まれている図面であるが、遂に一人がアンテナが違うことに気付いた。前後のマストの間に長いアンテナが張られているのである。第2原紙に書き込まれた時期は昭和18年であった。戦争末期に近い時期、何のための無線機が搭載されたのであろうか?
この疑問を船の歴史に詳しい硴崎委員(造船資料保存委員会)に問い合わせた。そして多分次のようなことが行われたのではないかという推理に落ち着いた。
「S18.11.15に船団護衛を専門とする海上護衛総司令部が発足。護衛艦に加え航空機護衛も検討された。 S18.11.27に海軍大臣より主要な輸送船にはドイツから技術導入した新型水中聴音器・仮称三式探信儀を装備するよう指示があり、本船はS18.12に日立因島に入渠するが、この時に護衛艦艇と連絡を密にするため点滅信号や手旗に代わる新しい無線装置とアンテナを取り付けたのではないかと思われる。」
この時期の浅間丸を巡る動きを硴崎委員が克明に調べてくれた。そのレポートのメールを以下に示す。

「浅間丸の第2次大戦開戦前後の動静に関する硴崎貞雄委員の調査メモ」

貴メールを拝読しました。

アンテナの違いに注目されたとは脱帽です。早速手元のGAを拡げて、B5版で比較的明瞭な本船就航直後の雑誌写真と比較してみると、浅間丸の写真では辛うじて、姉妹船の龍田丸の写真では明瞭にアンテナを判別することが出来、展張方法は同じであると確認できます。この姉妹船2隻の無線機はどちらも安立社製です。
by「シリーズ・日本の艦艇・商船の電気技術史」船の科学Vol.43 1990-4, p70

本船が海軍に徴用されて船団を組み、複数の護衛艦艇と組むとなると常識的には海軍の艦隊内または戦隊内通信用の通信機の装備が必要になります。
by「シリーズ・日本の艦艇・商船の電気技術史」船の科学Vol.42 1989-5, p69

そのアンテナの展張がGAに記入するほどの工事だとすると、ドックに入った時ではないかと思い、第二次大戦前夜からの本船入渠経歴を調べてみました。
by「太平洋の女王浅間丸」内藤初穂著 中公文庫 1998年8月

S16.08.10 戦雲急を告げサンフランシスコの手前で引返し横浜に帰着。
S16.11.26 政府徴用船として06日に横浜出帆しシンガポール、マニラより邦人をのせて神戸帰港。
S16.12.03 海軍傭船として船体を灰色に塗りつぶし横須賀を出帆し、翌S17.05.16横浜に帰るまで、横須賀と南方の間の輸送に従事。S17.05.19徴用解除。
S17.05下旬より06上旬 日米交換船の準備のために長船第3ドックに入渠。
S17.06.25より08.20まで 日米交換船業務。
S17.09.05 海軍に再徴用(以下、輸送船としての行動詳細は省略)。
S17.11. 浅野ドックに入渠。水中聴音器、8サンチ砲、爆雷投下架台などを装備。
S17.12.10 下関沖で沈船に接触して船底を損傷。
S17.12. 長崎に入港。長船に入渠。船底修理と並行して公室の備品・調度を撤去して居住区に改造。
S18.05. 呉で無線室に捕音器を設置し、専門の聴音員を海軍から派遣乗船させた。
(入渠したか否か不明だが潜水艦探知用であるからには入渠の必要があるのでは?)
S18.11.15 海上護衛総司令部発足。船団護衛の本格的な検討が始まり、12.15には海上護衛航空隊編成。
S18.12.16 日立因島に入渠。ドイツから技術導入した新型水中聴音器・仮称三式探信儀を装備。
S19.02.23 潜水艦の雷撃を受け、1カ月半基隆にて入渠。
S19.11.01 潜水艦の雷撃により沈没。

本船の運用は、開戦当初の頃は高速を利用しての単船運用が多かった。
S18.02に姉妹船龍田丸、同年4月に姉妹船鎌倉丸が潜水艦の雷撃により相次いで沈没し、これに驚いた海軍は本船を呉に回航し同年5月に呉で潜水艦探知用の捕音器を設置し、同年7月からは船団航行するようになる。
S18.11.15に船団護衛を専門とする海上護衛総司令部が発足。護衛艦に加え航空機護衛も検討。
S18.11.27に海軍大臣より主要な輸送船にはドイツから技術導入した新型水中聴音器・仮称三式探信儀を装備するよう指示があり、本船はS18.12に日立因島入渠するが、この時に護衛艦艇と連絡を密にするため点滅信号や手旗に代わる新しい無線装置とアンテナを取り付けたのではと思います。
なお、蛇足ですがS08年の南洋群島方面における特別大演習で、同海域特有の猛烈な空電中では長波通信が不能となった事件が報告されております。
以上、ご参考まで。~~~~~~~~~~~~~~硴崎 貞雄

浅間丸の図面

東大運動性能研究室から頂いた一連の資料の中に含まれていた「浅間丸」の図面・資料の一覧を添付「図面・資料リスト」に示す。
この内、ここで見て頂く「浅間丸」の図面を「浅間丸図面一覧」に示す。

この図面が東大にあった経緯はつまびらかでない。他の小型客船などの図面は復原性基準検討の対象として造船所から提供されたものであるが、浅間丸など一部の船の図面は復原性研究の一般的資料として提供されたものではないかと思われる。含まれている図面の種類も小型客船とは異なっている。また提供された図面を元に水槽模型も作られたと思われる。

以上

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