資料調査報告(No.12) : 2014年6月発行「フランス人の見た幕末・明治初期の和船」

No.23 日本ならびコーチシナのボートの寸法、諸数値、構造などの注記

日本の船舶構造の一般的な特徴は、他の国のものとは本質的に異なっており、下記の様に要約し得る。

  • ・肋材(フレーム)が無いこと。
  • ・外板は並列に配置された板材がかすがいと釘で矧ぎ合わされた構造である。(註23-1)
  • ・キールは無いが、船底には一種の平板((かわら))がある。
  • ・最大船幅はミドシップよりもかなり船尾にある。(註 23-2)
  • ・船首材は極端に突出し、船尾は丸みがあり開いている。
  • ・金物の蝶番はなく、丸い軸(舵身木(かじみき))に付いた大きな舵板(羽板(はいた))は、綱、あるいは木製の横木で支えられる。
  • ・側面の回廊(櫓床(ろどこ))は多かれ少なかれ張出している。
  • ・帆装は、帆布を縫合わすかわりに紐(縫い下し)を介して繋いだ四角い一枚帆である。
  • ・横索の無い帆柱は中央よりもかなり船尾にある。
  • ・それに付け加えるに、目立って角ばった横断面で、凹みの無い水線面である。
  • ・最後に、櫂の代わりに櫓を徹底して使用する。

日本の船はシナの船よりも航洋性には大いに劣っている。
我々西洋の船が、丸木舟から始まり、次いで波除板で船端を高め、更に肋材で補強する過程を経たのに対して、日本の船はイカダ(筏)から発達したものの様に思われる。

日本の船の構造は我々の船とは極めて異なっており、詳細に論ずるに値する。
使用木材はシーダー(ヒマラヤスギ)に似ており、白く柔らかく加工が楽である。
釘打ちは細い鉄釘を使い、銅は部材の連結には使わず、釘の頭や接合部のカバーとして惜しみなく使われており、装飾としても役立っている。

我々の船のキールに替る平板(航)は先端に行く程狭まるが、船体構造の基盤の役を果たしている。 は FIG1 の様に、二層の板から成り(註 23-3)、鉄の鎹(カスガイ)や斜めに撃ち込まれた釘(縫釘(ぬいくぎ))で結合される。(註 23-1)
縫釘の頭は溝に埋め込み、FIG2 の様に充填材か木片で充填し、薄い銅板で覆われるが、銅版は釘を錆び付かせる。
航の両端には、しばしば二枚の垂直版(根棚(ねだな))が立って深さ0.4mの槽を形成し(FIG1)、そこに船倉の汚水(アカ)が集まる。

二枚の根棚は先端に行く程近接し、船首材や船尾平板部(戸立(とだて))に固着される。
その上に置かれた外板(中棚(なかだな)上棚(うわだな))は相互に長い釘で結合され(註 23-1)、同一線上に揃えた二材から成るが、二材の結合は緩い。

不規則な2~3層から成る外板(棚板(たないた))は交差することなく、斜めに切断された先端まで達している。
軽荷喫水線の付近で外板は急に立上り、木の層で構成されたチャイン(アオリ)を形成するが、それは既述の様に配置された長い薄い釘(通釘(とおりくぎ))(かすがい)で結合される。
FIG3、FIG4 は大きな船の場合の此の独特の構造を示し、FIG5 は小さい船の場合である。

船首材(内水押(うちみよし))(註 23-4)や船尾材(戸立)にはラベット(結合用の溝)は無く、外板は釘やかすがいで打ち付ける。
いわゆる船首材は大きな水切り材(外水押(そとみよし))(註 23-4)で保護され、優雅な形で立っている。
この様な船殻構造は横の結合を必要とするが、船梁と強固な支柱があるのみである。 支柱は船が座礁した様な場合にかかる大きな応力を引受ける。

船倉の中にはチャインに切込まれた中船梁(なかふなばり)があり、それらの接合部は隣接の外板に釘止めされた銅板で水密になっている。(註 23-5)
甲板梁(上船梁(うわふなばり))は外板(棚板)を貫いて外側の回廊を支えている。 帆柱の処の甲板梁(腰当船梁(こしあてふなばり))は極めて強固で、輪(責込(せめこみ))で締めた二材から成り、0.5mから0.7mの寸法である。(註 23-6)

二本の支柱(筒挟み)は甲板梁の中に切込まれ、矢倉の上まで聳えて、大帆柱を抱え込んでいる。
船尾甲板の端部は強力な船尾肋材(床船梁(とこふなばり))で終わり、床船梁は操舵機構の基盤となり、その上に垂直材((たつ))に支えられる二本目の梁(下笠木(したかさぎ))がある。
船尾には奥深く二枚の隔壁で仕切られた船室の様になっており、その間を舵が通っている。 これが日本の船の典型として記されるべきものであろう。(註 23-7)

索具に就いては模型や板図の上で十分に判るので、詳述する必要は無い。
これ等の船体構造は、填隙(コーキング)されてないにも関わらず、少なくとも新造時には水密である。
船体構造は座礁や、砂州への引き上げにも耐えるような弾力性を有している。
喫水線以上まで完了した時点で、船体には水が張られ外面は木材の保護の為に丁寧に 焦がされるが、しばしば、船虫から守る為に小さな板を適当に打付ける(包板(つつみいた))

日本の船は航洋性に劣り、シナのジャンクには程遠く、長期の航海に出るのは無理である。
このような船体構造は、外国との接触を禁ずる諸法規によって強制されたとのことであるが、それらの無用な法律は少し前から廃止されている。

これ等の船はこの国に良く適合しているので、幾つかの船型は今後も続くであろう。
日本人は彼等の沿岸の良い海図を持っており、それには水深や進むべき航路が示されており、船長達はこの航路に厳密に従って航行する。
これ等の日本の船を16世紀のヨーロッパの船と対比すると、後者の方が帆の分割や舵の支持金具の面で優れている。
日本の船の様な不完全な船を見出すには大昔に遡らねばならない、サン・パウロの航海は(註 23-8) 日本の船の航海術や操船術に逐一当てはまる。

これ等の珍しい船体構造は、1867~1869年に当時海軍中尉のArmand Parisによって入念に調査された。 彼は図面を描き計算し、それに基づいて模型が造られた。 更に比較検討に資する為に、ブリタニア地方の“Chasse Marée”(3本マスト小型船)や同時期にParisが調査したコーチ・シナの沿岸船をも加えて、上記の諸元表(省略)を作成した。 原図は海事博物館の図面室にあり、模型は同じくギャラリーに展示してある。

 

保存委員会註 23-1

弁才(べざい)(せん)における棚板の結合方法を下図に示す。

保存委員会註 23-2

一概には言えない。北前船などのように逆の場合もある。

保存委員会註 23-3

一般の弁才船(べざいせん)の場合は一層が普通である。

保存委員会註 23-4

通常、弁才船(べざいせん)の水押は一材であったが、幕末から明治期になると
内、外水押の二材で構成されるケースが多くなった。(下図参照)

(大阪市史付図より)

保存委員会註 23-5

F.E,Parisの同じ図面集の中にある、兵庫で計測された1500石積の弁才船の構造図を以下に示す。

保存委員会註 23-6

弁才船の中央横断面の一例

(大阪市史付図より)

保存委員会註 23-7

弁才船の中央横断面の一例

(大阪市史付図より)

保存委員会註 23-8

新約聖書使徒行伝27章、キリスト教の使徒パウロのエルサレムからローマへの当時の大型商船による航海。紀元61年頃。

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