No.11 及び 12 日本、“ふね”と称される船舶
1868年神戸に於いて計測 フランス海軍大尉 A.Paris
帆柱はシュラウド(横索)無し。 2本の小帆柱は固定されず脱着可能。大帆柱は根本寸法1.18m角、20mの高さ位置で0.8m角、長さは32m。
断面図は不揃な長材を束ねる手法を示すが(たいまつ柱)、船首側の木材は堅木である。 タガ(責込み)が疎らに嵌められ両側面はクサビで締められている。帆柱の長材は単に平行に束ねてあるだけで、相互に結合していない。 従って強度は帆柱一体としての強度ではなく、各長材の強度の合計に過ぎない。
帆柱の頂部は堅木で出来た補強材(蝉挟み)が乘っており、揚帆索(身縄)用の滑車(蝉)が装着されている。 帆柱の重量は18トンである。 帆柱の根元の檣座(守)は4本の部材で構成され、この様な大重量を支えるにしては小さく思える。 我々の西洋帆船の様な横索(シュラウド)による締め付けもなく、船の激しいローリングは帆柱に過度の応力を発生させている。 帆柱は堅木製の頑丈な一対の垂直材PP(筒挟み)の間に置かれ、あまがらみ綱で固縛した後、クサビを打って締め付ける。 帆柱立て作業は FIG2 に詳細に示す様に極めて困難な作業である。
帆柱は檣冠の蝉挟みに懸けられた0.2m(周長)の支索(筈緒)のみで支えられており、FIG3 の要領で取付けられている。即ち、筈緒の下端には滑車の無いブロック(括南蛮)が付いており、一端を船首材(水押)に固着した締め綱をこの括南蛮に通し、他端を船首付近の支柱に固着して締め付ける。
2本の小帆柱は檣座(守)と大帆柱の支索(筈緒)との固縛のみで支えられている。 しばしば1本だけの場合もあり、あまり重要なものではない。
主帆は巨大で、その面積は我々の(西洋帆船の)最大級の軍艦のメイン・トップスルに匹敵する。一枚一枚の帆(反)は非常に厚い木綿製帆布で、幅は0.8mである。 各々の反の両縁には FIG4 の様に、ところどころ帆布に結び付られた縁索(筋縄)が通っており、各反を繋ぐには反と反の間に通した綱(縫い下し)に結び付て一体化する。 各筋縄の上部は帆桁の太さに応じた環となっていて、帆桁を順次にこの環に通して行って帆桁と帆を結び付ける。 これは極めて時間のかかる作業である。 帆の最端部の上耳は筋縄に過大な力がかからぬ様に少し緩めてある。 この帆装の方法から考慮して、1本の帆柱に複数の帆を重複して展張させたり、縮帆索を用いて帆の面積を調節したり出来るのはヨーロッパの船のみとの結論に達する。 中央の繋ぎ合わせは上部で緩めてあり、その筋縄は両端のものと同様に強くしてある。 各帆には帆脚索(帆足)があり、太い綱(大渡し)XX (FIG6)に結び付けられる。 中にくず縄を詰めた大渡しは船尾楼(矢倉)上の鐶に固着される。
詰開き航走(逆風走行)の場合の帆足は帆柱の足元にとり、帆桁は斜めとなり帆は袋状に脹らむ。帆の両端の筋縄には、はらみ綱(両方綱及び脇取綱)が装着され、船尾側にも船首側にも展張出来る。 2本の転桁索(手縄)には索具を完備した短索が付いている。 帆桁には4本の動索(ハリヤード、身縄)があり、2本をキャプスタン(轆轤)で一度に巻く。 身縄は船尾梁上の棒状滑車(艫の飛蝉)を通って轆轤へ導かれる。 日本の船は下手回しでしか回頭出来ないが、間切り航行(BEATING)は可能である。 しかし横流れや横揺れも大きく、航行性能は大したものではない。
No.11 帆柱立て (図面 No.11-2)
浮かした帆柱を太い根元を先にして船尾へ導き、太い綱を掛けて船室内(矢倉内部)のキャプスタン(轆轤)で捲き、船尾の大梁(床船梁)に取付けたローラー(R)の上に根元を乗せる。 このローラーを孔に噛ませた梃で廻すことにより、帆柱を引揚げる。
根元が筒挟み PP の間に嵌まり込み、筒挟み上のローラー B の上に置かれる。 帆柱の頂部が上下に動かぬ様に保ちつつ、ローラー(R)(艫の車立)の胴を外し、頂部が艫矢倉の高欄の位置に、来るまで引き揚げる。 艤装解除(船囲い)の場合はABの位置(FIG2)を保って、ムシロを被せる。
艤装するには、帆柱に筈緒や身縄を取付け、船尾楼(矢倉)の天板(碁板)を取り外す。 以前に撤去した艫の車立のローラー R を使って、帆柱が檣座(守)に収まるまで帆柱を船尾に引く。 筈緒や身縄を引張って帆柱を起こすが、矢倉中央の歩桁が側面のガイド役となる。 作業は25人で十分だが数日間かかる。 舵は予め撤去されている。