「籾山模型の魅力」 ~ 創業100年 父子二代で生み出した珠玉の艦船模型 ~

「籾山模型の魅力」 ~ 15. 渾身の作品 戦艦“武蔵”銀製模型

船の科学館 飯沼一雄

昭和52年(1977)6月、三菱重工 古賀繁一元相談役の発案で、同社長崎造船所で戦前建造した最大の戦艦“武蔵”(基準排水量69,000トン、昭和13年10月竣工)について「技術史料的価値を持ち、100年後に遺すべきこと」を目標に、縮尺1/200の精密な銀製模型を制作することが決められた。

[写真60] 三菱重工より戦艦“武蔵”銀製模型を受注

この日集まったのは、当時関わった牧野 茂氏と松本喜太郎氏、それに長崎造船所設計技師の井上栄一氏と神戸造船所設計技師の泉 江三氏を加えたそうそうたるメンバーである。

[写真61] 製作指導する、牧野先生、泉先生、松本先生

模型製作に当たっては極秘扱いだった当時の貴重な設計資料や図面類が集められ、新たに模型製作用の図面も調製されて、籾山船舶模型製作所の籾山蔵太郎氏に特命発注された。

「モデル・シップと40年」の作次郎氏の回想によれば、「蔵太郎は戦艦“大和”の模型を一生のうちに一度は作りたいと言っていた」としており、蔵太郎氏にとっても千載一遇のチャンスといったところだったであろう。

本銀製模型は、当初より最後の大作として意識されていたためかその製作過程が詳細に写真記録として残されている。 [写真62]は隔壁を組み上げた内部の基本構造、縦方向の歪み防止のため円管が何本も通っているのが見て取れる。 [写真63]はほぼ組み上がった艦橋等の上部構造物部品、[写真64]は最終的な仕上げ作業を行っているところ、[写真65]はスクリュープロペラの製作工程である。 特に、薄板を重ねて原型を作り、削りだしてプロペラを製作するという方法は籾山模型独特の手法ではないかと思う。

[写真62] 隔壁と縦通材、銀製模型の内部構造
[写真63] ほぼ組み上った艦橋他の上部構造物
[写真64] 最後の仕上げ加工を行う銀製“武蔵”模型
[写真65] スクリュープロペラの製作工程(“武蔵”模型)

銀製模型の製作過程では、進捗に応じて百人町の工場に、古賀氏、牧野氏、松本氏、井上氏、泉氏、が集まってチェックと打ち合わせが重ねられたというが、こうした実艦を知っている巨頭等の指導を仰ぎながらの製作は、蔵太郎氏にとっても名誉であったと同時にさぞや苦労があったことと拝察するばかりである。

そして、蔵太郎氏はひとたび仕事を引き受けると、時間が超過しても製作コストが上昇しても一切の追加請求を行なわなかったという。 銀製模型の“武蔵”製作にあたっても、銀を大量に追加注文しなければならなかったにも関らず追加請求は行なわず、それでなくても厳しい製作所の経営はさらに火の車になったということである。 ご家族の苦悩も、察して余りあるものがある。

[写真66] 遂に完成した“武蔵”の銀製模型

こうして、2年半に及ぶ製作期間を経て昭和55年(1980)1月に完成、東京の三菱重工業本社1階ロビーに1ヶ月ほど完成披露で一般公開された後、三菱長崎造船所に運び込まれ同社の迎賓館「占勝閣」に据え付けられて今日に至っている。 残念ながら、一般に公開されているわけではないが、戦艦“武蔵”の威容が籾山模型として永遠に記録されることになったのはすばらしいことだと思う。

蔵太郎氏が念願した戦艦“大和”模型の製作は、当時関わった関係者の指導を受けながら、正に建造所である三菱重工業よりの発注を受けたビルダーズ・モデルとして、戦艦“武蔵”の縮尺1/200銀製模型に結実したのである。

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