資料調査報告(No.11) : 2014年5月発行 「WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM 今昔(2)」 ~ 昭和40年代 ~

2014年5月 保存委員会 委員 大谷昇一

まえがき

前回の報告書 「WHEEL HOUSE , CONTROL ROOM 今昔(1)」 では、昭和20~30年代の Wheel House, Control Room を取り上げたが、本稿ではそれに続き、昭和40年代について取り上げることにし、雑誌などから写真を収集した。

昭和40年代から既に40年以上経っているので、写真の収集は容易ではないが、幸い当委員会には当時の雑誌「船の科学」や「船舶」などが揃っているので、それらをベースに、特に「船の科学」を中心に収集した。

 

昭和40年代は我が国の造船業界にとっては、仕事量が多く、また流通革命とも云うべき時代の変化や要請もあり、建造船の種類も多く、まさに繁栄の時代であった。 この観点から船を主体に、昭和40年代に造船業界に起こったことを列記すると

  1. (1) 高速定期貨物船の建造
  2. (2) タンカーの大型化(5万トンから48万トンへ)
  3. (3) ばら積み船(鉱石、石炭、穀物など)の建造と大型化
  4. (4) コンテナ船の出現
  5. (5) 自動車専用運搬船の出現
  6. (6) カーフェリーの出現
  7. (7) ガス船(LPG 運搬船)の大型化
  8. (8) ミニコンピュータを搭載した超自動化船の出現
  9. などで、実に多種、多様である。
  10. 技術面での変化も大きかった。 まず、陸上のオートメーションの進歩もあり、特定の船舶にミニコンピュータが搭載され実用化の検討がなされた。 これによりWheel House, Control Room に関連する機器も大きな影響を受けた。 航法システムでは人工衛星を利用した測位システム(NNSS : Navy Navigation Satellite System )や衝突予防レーダが出現した。 機関部の計装システムでは、多数の電気センサーを用い、一箇所で監視するアナログ計装システムが一般的となり、Engine Control Room が設置され、メータやスイッチを多数装備した大きな立派なコンソールが設けられた。 荷役システムでもアナログ計装が取り入れられ、遠隔監視/制御が進み、荷役制御室が設けられ、大きなコンソールが設置された。 これらのシステムもコンピュータ化の検討が進められた。
  11. 経済面でも大きな変化があった。 まず昭和46年8月にアメリカのニクソン大統領により金とドルとの交換停止がなされた(それまでは1トロイオンス=35ドルで交換可能であった)。 次に昭和48年2月には、通貨が固定相場制から変動相場制となり、1ドル=360円から昭和40年代末には、1ドル=270~300円に上昇した。 さらに昭和48年~49年に、中東戦争があり、原油が1バーレル 3ドルから12ドルに高騰した。これらの影響で、物価や賃金が上がり、造船業のみならず日本の製造業は大きな打撃を受けた。 そのためその後、昭和50年代では造船不況となり、少人数船の検討や省エネルギーシステムの検討が主要なテーマとなっていった。
  12. このように昭和40年代は大きな変化があったが、それは船の形や外観にもよく出ているので、ここでは Wheel House やControl Room の写真だけでなく、船の全体写真も入れることにした。 これらの収集した写真は、下記のように年代毎にまとめたので、上記のことを念頭に見ていただけたら幸いである。

1. 昭和40年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

3.3MB、5ページ:本文を読む

2. 昭和41年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

3.2MB、4ページ:本文を読む

3. 昭和42年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

2.6MB、4ページ:本文を読む

4. 昭和43年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

5.7MB、8ページ:本文を読む

5. 昭和44年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

2.5MB、4ページ:本文を読む

6. 昭和45年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

3.5MB、4ページ:本文を読む

7. 昭和46年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

5.0MB、6ページ:本文を読む

8. 昭和47年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

4.3MB、7ページ:本文を読む

9. 昭和48年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

5.0MB、7ページ:本文を読む

10. 昭和49年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM

2.1MB、3ページ:本文を読む

なお、ミニコンピュータを搭載した超自動化船については、報告書 「昭和40年代の超自動化船について」 にて触れているので、それを見ていただきたい。


あとがき/まとめ

1. (まえがき)に記したように、昭和40年代の Wheel House, Control Room の写真を雑誌「船の科学」、「船舶」から収集して並べてみた。 雑誌 に Wheel House やControl Room も含めて紹介されるのは、当時でも話題性の高い船だったわけで、その面からも時代の雰囲気を感じていただけると思う。

2. 本稿は、Wheel House や Control Room の写真を並べて、その変遷を見ていただくのが主目的であるが、昭和40年代は、建造船の種類が豊富で、大型化も進んだので、「世界初・・」、「我が国初・・」、「世界最大・・」などのフレーズが並んでいるため、船の方に目移りしてしまった感がする。 それで Wheel House, Control Room の写真だけでなく、本船の全体写真を入れることにした。 船そのものの特徴が分かると共に、例えば波を蹴立てて進む高速コンテナ船や悠然と進む超大型タンカーの姿はそれだけで魅力的でロマンがあると思うからである。

3. ここでは Wheel House や Control Room の写真のある船だけを収録したが、収録しなかった船にも時代を画する、Epoch making な船は多々あった。 ここでは船自体の建造史を記述するのが目的ではないので、それらについては残念ながら取り上げなかった。 また写真が鮮明でないものも割愛せざるを得なかった。

4. 船の多様さ、多彩さに圧倒されたが、この時代は ミニコンピュータを搭載した超自動化船が建造されたこともあり、Wheel House や Control Room に関係が深い 航法システム、計装システム、荷役システムにも大きな変化があった。 この変化は Wheel House や Control Room の写真だけではよく捉えられないので、(まえがき)と重複するが、以下に簡単に触れておきたい。

5. 航法システムでは、まず測位装置、従来はロラン(LORAN)が使用されていたが、昭和45年頃からは、人工衛星を利用したNNSS(Navy Navigation Satellite System)や地上基地8局で全世界をカバーできるオメガ(Omega)が併用されるようになった。 レーダも昭和45年頃から、衝突予防レーダが現れた。
NNSS も衝突予防レーダもミニコンピュータが普及したことにより実用化が進んだものである。また、タンカーが大型化したことにより、着桟速度が問題となり、船の横方向速度も検出できる対地速度計(ドップラーソナー)が開発された(着桟速度が 10cm/sec. 以上だと桟橋が壊れるおそれがあるとのことだった)。

6. この時代、アナログ計装システムが普及したことにより、機関部計装システムや荷役システムで変化が生じた。
機関部計装システムでは、温度や圧力などの電気センサーを用い、一箇所で集中監視する方式が取り入れられ、機関制御室が設置された。 そこには大きな立派な Console が設けられて主機や発電機、補機の各部の温度や圧力などのデータがメータ表示され、また見やすくするため Graphic 表示が用いられた。

7. 荷役システムでも機関部と同様、荷役制御室が設置され大きなConsole が設けられた。 ここでタンク液面の集中監視やポンプ類の発停、バルブの開閉操作などが行われるようになった。 また見やすくするため、タンク配置や配管の Graphic 表示が用いられた。

8. 昭和40年代の終りごろには、ミニコンピュータを搭載した超自動化船のような大掛かりなシステムではなく、個別の機器にコンピュータが用いられるようになり、積付け計算とか上記したように NNSSとか 衝突予防レーダに用いられるようになった。 写真では捉えられないが、これは大きな変化である。

9. 無線装置については、昭和43年に従来の電信に加え SSB 電話が導入されたが、昭和47年頃には人工衛星を用いた電話システムが導入され、音声による船陸間の通信が可能となった。 これも大きな変化であった。

10. 昭和40年代は(まえがき)にも触れたように多くの種類の船が建造され、また大型化も進んだ。 その変遷をここに収集した船をベースに見てみる。 収集した事例だけでこの時代の変遷を述べるのはおこがましいことではあるが、おおよその傾向は示していると思う。 なお収集した船は65隻で写真は243枚である。

  1. (1)高速定期貨物船の建造 : 昭和30年代から引継ぎ、昭和40年、41年と盛んに建造された。
  2. (2)タンカーの大型化 : 昭和40年は5万トンクラス、41年は15万トン(東京丸)、 43年には31万トン、 45年には20~25万トンのシリーズ船、 46年には37万トン(日石丸)、48年には48万トン(GLOBTIK TOKYO)、49年には27万トンなどと大型化した。
    (なお昭和37年に、日章丸 13.3万トン(出光タンカー)があったが、本格的な大型化は40年代に入ってからである。)
  3. (3)ばら積船の建造と大型化 : 昭和40年は3.5万トン、41年には15万トン、42年、43年は10万トンクラス、47年には16.5万トン、48年には27万トン などと大型化した。
  4. (4)コンテナ船の出現 : 昭和43年に初めて建造された(箱根丸)。当時は16,000 トンクラスであった。44年、45年は 24,000トンクラス、46年に高速大型船(鎌倉丸、35,400 トン)が建造され、47年も同クラスの高速大型船が多く建造された。
  5. (5)自動車運搬船 : 昭和40年に追浜丸(DWT ab.16,000 トン、自動車積載数 1,200 台)が建造された。その後も多く建造されているが、本稿では取り上げていない。
  6. (6)カーフェリーの出現 : 渡し船の類は古くからあるが、ここでは昭和40年代の自家用車の普及と自動車による旅行ブームに対応すべく建造されたフェリーについて触れる。
    収録した写真で見ると、昭和44年は中距離で 1,800 トンクラスであったが、昭和47年、48年頃では長距離で大型化した(9,000 トンクラス)。
  7. (7)ガス船(LPG 船)の大型化 : ガス船は、我が国では、昭和35年に初めて建造された(内航船)が、その後大型化が進み、昭和48年に世界最大の LPG 船、ESSO FUJI (DWT ab.63,400トン)が建造された。
  8. (8)その他
    • ・LIBERTY 船の代替船として、昭和42年に FREEDOM 型多目的貨物船(DWT ab.13,000トン)の大量建造が始まった。さらに46年にFORTUNE 型多目的貨物船(DWT ab.22,300 トン)の建造が始まった。
    • ・昭和43年に機関室無人化船(仁光丸、木材チップ船、DWT ab.23,200 トン)が我が国で初めて建造された。
    • ・半没水型の実用化船(昭和41年、オリエンタル・クイーン)、漁業調査船(42年、水産庁、開洋丸)、コンベアばら積船(43年、UNIVERSE CONVEYOR)、氣象観測船(44年、氣象庁啓風丸)、世界最大のセメント・タンカー(44年、中興丸)、ドラグ・サクション浚渫船(45年、第1特浚丸)、巡航見本市船(47年、新さくら丸)など、珍しい、特殊な船が建造された。
    • ・昭和48年に、操舵室、機関制御室、無線室を一体化した船が我が国で初めて建造された(冷蔵運搬船、いそかぜ丸)。
    • ・もう姿を消したが、宇高連絡船 讃岐丸(昭和49年)の写真があったので収録した。

11. 最後に経済関係の指標を(まえがき)との対応で記す。現在(2014-5-12)は、金は 1トロイオンス=約1300ドル、1ドル=101.9円、 原油は 1バーレル=104.5円(ドバイ)である。 昭和40年代末に比べ相当大きく変化している。現在に至るまでの、円高、原油高には 日本の造船業界のみならず、全産業界が苦しめられてきたが、昭和40年代末がその苦難の始まりであったのである。

以上

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