「籾山模型の魅力」 ~ 創業100年 父子二代で生み出した珠玉の艦船模型 ~

「籾山模型の魅力」 ~ 16. おわりに

船の科学館 飯沼一雄

こうして、親子二代にわたって製作が続けられた籾山模型製作所は、蔵太郎氏が念願していた戦艦“武蔵”の縮尺1/200銀製模型を昭和55年(1980)に完成させ、三菱長崎造船所「占勝閣」に収めることで事実上終焉を迎えることとなった。

それでも、過去に製作した模型等の修理は続けていたが、本格的な模型製作を止めたことから長く工房兼住居としてきた大久保百人町を引き払い、閑静な住宅地である世田谷区下北沢に引っ越すことになった。 下北沢では住宅地域ということもあって工場としての経営は困難となり、平成5年(1993)ついに親子二代足掛け81年に及んだ籾山模型製作所は幕を閉じることになった。

私が企画展「船と模型の世界」を担当し、蔵太郎氏を世田谷のご自宅に訪ねてお話を伺い、識別用の洋上模型を拝借したのが平成8年(1996)、まだまだお元気であったがそれから7年ほどが経過した平成15年(2003)2月9日、惜しくも逝去された。 享年83歳であった。

本年からちょうど100年前の明治45年(1912)、大久保百人町で創業した「籾山艦船模型製作所」は、福田馬之助海軍中将の肝いりもあって川崎造船所より給金をもらいながら同所建造の竣工模型製作から出発し、時を経ずして籾山独自の銀製模型の製作にも成功し、大正期には民間造船所初受注の戦艦“榛名”、続く戦艦“伊勢”、戦艦“加賀”等の銀製竣工模型を立て続けに製作すると共に、第一次世界大戦を背景とした海運・造船業の躍進期とも相まって多数の商船竣工模型も製作し、その手腕を遺憾なく発揮する。

しかし、第一次世界大戦が終了し、さらにはワシント軍縮条約により戦艦“加賀”等の建造が中止になると再び造船業は不況となる。 さらに、昭和時代に入ると金融恐慌も重なり、経営が苦しくなる中、日本郵船、大阪商船、鉄道省等の船主より注文を受ける竣工模型いわゆるオーナーズ・モデルの製作も手がける。 特に、日本郵船の浅間丸級、氷川丸級の大型竣工模型は出色の出来栄えで、何隻も製作した。

さらに、川崎造船所からの給金が途切れた昭和6年(1931)頃からは、ライバル造船所の三菱長崎造船所からも受注し、独自の道を歩み始めることになった。 しかし、支那事変(日中戦争)が始まり、さらには米英との雲行きも怪しくなると、竣工模型は防諜上の理由も生じて製作しにくくなくなり、海軍兵学校に納めた戦艦“扶桑”の縮尺1/16の大模型等や海軍館に納めた展示用の模型もあったが、戦時下にあっては軍事目的の艦形識別用洋上模型の大量製作が中心となって終戦を迎える。

戦後は、「籾山船舶模型製作所」と改称すると共に代表者が長男の蔵太郎氏に世代交代、安価を求められ乱立する新規事業者との競争も激化して、納得行く模型作りは出来にくい時代に移り変わっていった。 そうした中、昭和35年(1960)7月に作次郎氏が73歳で逝去する。

昭和40年代に入ると、東京に新たに建設された船の科学館に収める模型の製作や修理等も行い、昭和55年(1980)の三菱長崎造船所「占勝閣」に永久保存するために製作された戦艦“武蔵”の縮尺1/200の銀製模型を最後に、事実上の模型製作活動を休止することになった。

作次郎氏は「モデル・シップと40年」の中で「芸術家などといわれては恥じ入りますが、命は短いが模型は長く残るという気持ちは同じです ~中略~ そこで採算を無視しています」と語ると共に、「模型作りが好きなのでございます」と言い切っている。
そして、その結果、「模型が完成する頃には、目ぼしいものは皆質に入れてしまう始末 ~中略~ 家内とは32歳の時に結婚いたしましたが、それ以来ずっと苦労のかけ通しでございます」とも語っている。

「模型作りが好きだ」を生涯通し、「採算を無視して、長く残せる模型を作る」という精神は、籾山模型に首尾一貫する特徴だった。
特に、籾山模型の真骨頂とも言うべき銀製の竣工模型は他に例を見ない注目すべき作品であった。 これまで、戦前には主力艦の建造に際しては銀製模型が必ず作られて皇族に献上されたものと先入観を持っていたが、どうも主力艦ですら銀製竣工模型は、“榛名”、“伊勢”、“加賀”の3艦しか作られていなかったのではと思える。 そうとすれば、これらの作品価値は極めて高いものと考えられる。

振り返って現代、徹底した合理化と経済性の原理の大波に呑まれ、古武士の様な実直で妥協の無い職人気質が生み出す籾山模型の生き残れる道は閉ざされたも同然だった。 こうした商業模型の衰退に相対するように、艦船の詳細なオリジナル図面や資料、写真等が公開されるようになると、採算を度外視した艦船模型ファンが驚異的に優れた精密縮尺模型を製作するようになる。

また、プラモデルも縮尺1/350の大人のホビーとも言える良質なキットが各社争うように発売され、専用のエッチングパーツも多数用意されて侮れない品質に成長してきた。
そうした時代を迎えてなお、限られた資料に基づくものだったにせよ、公式竣工模型として製作された籾山模型の魅力は色あせることはない。

我々は、こうした歴史と伝統ある艦船の模型作りにもっと誇りを持つべきではないであろうか。 そして、籾山模型の魅力と価値を未来に伝えてゆけるのは、艦船模型を愛する模型製作者やファンの皆さんしかないであろう。

籾山模型よ永遠なれ!

(おわり)

[写真67] 終

<ご協力いただいた方々及び機関名>(順不同、敬称略)

籾山道子 籾山 肇 泉 江三 石渡幸二 矢後美咲 佐藤八郎
鎌倉 巧 志澤政勝 野間 恒 岡本敏夫 石橋重市郎 椿原靖弘
原 千明 横山瑞史 岡山芳治 平尾陽子
東京大学 東京国立博物館 日本郵船歴史博物館 靖国神社 遊就館 神戸海洋博物館
日本赤十字社 (株)海人社 (有)佐藤船舶工芸 横浜みなと博物館 フェルケール博物館
松浦史料博物館 川崎重工業(株) 川崎汽船(株) 博物館 明治村

<主な参考資料>

  • ・『日本軍艦模型写真集 伝説的な籾山模型ここに甦る』 (発行:海人社)
  • ・社内報『三菱造船』 1953年5月号 (発行:三菱重工業)
  • ・雑誌『帝國工藝』 1932年 (発行:帝國工藝会)
  • ・企画展「籾山艦船模型製作所の世界」図録 (発行:日本郵船歴史博物館)
  • ・「日本の客船①1868-1945」 (発行:海人社)
  • ・「商船三井船隊史」 (発行:野間 恒)
  • ・「写真 日本海軍全艦艇史」 (発行:KKベストセラーズ)
  • ・「日本郵船船舶100年史」 (発行:海人社)
  • ・「日本の船」 (汽船編) (発行:船の科学館)

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