「籾山模型の魅力」 ~ 創業100年 父子二代で生み出した珠玉の艦船模型 ~

「籾山模型の魅力」 ~ 7. 籾山の真骨頂 銀製竣工模型

船の科学館 飯沼一雄

前項でも述べたとおり、作次郎氏は籾山艦船模型製作所を創業し、第1作と思われる巡洋艦“平戸”縮尺1/96の模型を完成させた後、同年中に早くも精密な“平戸”の銀製竣工模型(縮尺1/192 ?)を完成させている。
しかし、この初と思われる“平戸”の銀製模型は、写真を良く見ると艦尾が僅かに上に反って変形している。

銀製の模型は、銀蝋と呼ばれる銀との合金を高温で溶かして金属どうしを接合する。 これは非常に高度な技術を要するが、安易なハンダ付けを嫌って金属部品の接合には必ず銀蝋を用いたと作次郎氏自らが語っている。 しかも、銀蝋による接合は材料を高温に熱する必要があったことから、慣れないと残留応力で変形を来たすことになる。

それはちょうど、わが国初の全溶接で建造された潜水母艦“大鯨”(後に、空母“龍鳳”に改造)が溶接による残留応力で、船台上において艦首尾が大きく反りあがってしまった例と共通しているようで興味深い。
作次郎氏は、こうした経験を経てだれにも真似の出来ない、大型銀製模型の製作ノウハウを確立させたのであろう。

[写真23] 銀製竣工模型“平戸”の艦尾のソリ

「モデル・シップと40年」で作次郎氏は「ハンダ付けは金メッキがのりません、私は金物をハンダ付けしないで銀蝋にしています」と語っており、また「模型は木か金属で作ります。 金属は銀ですが、せいぜい5尺(注:1.5メートル)がとまりです」とも語っている。

籾山の銀製模型の特徴は、銀製の表面を丁寧に磨き上げた上で、防錆及び艶出し効果のあるザボン・エナメル等の特殊な薬品を塗布し、銀の輝きが何十年たっても損なわれないように加工している点である。 また、アクセントとして、喫水線下の船底を艶消しの梨地仕上げにしていることも籾山製の特徴といえる。

籾山の真骨頂たる銀製竣工模型の代表ともいえるのが、民間造船所として初受注の主力艦たる、戦艦“榛名”、戦艦“伊勢”、残念ながら戦艦としては未成(後に空母に改装)に終わった“加賀”の模型であろう。 いずれも、縮尺1/192、全長1.1~1.2メートルと銀製模型としては大作で、本艦の建造は造船所としてもまさに社運を賭けての大仕事であっただけに、その模型製作も非常に力が入っていたことが推察できる。

この期間に確認できる他の銀製竣工模型は、駆逐艦“時津風”、駆逐艦“梨”、駆逐艦“柿”であるが、大正10年(1921)に入ると初めて三菱長崎造船所製の巡洋艦“多摩”の銀製竣工模型が加わってくるのが興味深い。

また、昭和時代に入ると川崎造船所で建造され昭和2年(1927)9月に竣工した重巡洋艦“衣笠”、三菱長崎造船所で建造され昭和4年(1929)4月に竣工した重巡洋艦“羽黒”の重厚な堂々たる銀製竣工模型が、独特の凝った飾り台とケースに収められて完成する。

[写真24] 重巡洋艦“羽黒”の銀製竣工模型

また、潜水艦としては唯一、川崎造船所で建造され昭和4年(1929)4月に竣工した潜水艦“伊61”の銀製竣工模型がある。

[写真25] 潜水艦“伊61”の銀製竣工模型

他にも、実際に近年まで現物が残されて、船の科学館の企画展でも借用・展示させていただいた巡洋艦“五十鈴”の銀製竣工模型は特に印象深かった。 これは、長らく、住友重機械工業 追浜工場の資料館に保管されていたもので、数少ない籾山製の銀製模型が今日に残されているものであった。 黒漆塗りの重厚なケースと共に、光り輝く精密な“五十鈴”の縮尺1/200の銀製模型は強く心に印象付けられているが、大変残念なことに同資料館閉鎖後、しばらくして所在不明となってしまった。

さらに、平賀 譲中将の現役離職の記念品として昭和7年(1932)に製作された巡洋艦“妙高”の縮尺1/400銀製模型も、国立科学博物館に寄贈され今日に残されている。

[写真26] 平賀中将への記念品の“妙高”銀製模型

商船模型としては、大正7年(1918)11月に川崎造船所で竣工し、翌大正8年(1919)4月に創立された川崎汽船の最初の所属船の1隻だった貨物船“豊福丸”銀製竣工模型が挙げられる。 本模型は、惜しくも東日本大震災の際に転倒し破損したとのことであるが、修理して同社内で今後も保存を継続するとのことである。

[写真27] 川崎汽船 貨物船“豊福丸”の銀製模型

そして、なんといっても日本郵船歴史博物館が展示公開している、日本郵船 欧州航路貨客船“伏見丸”(三菱長崎造船所製)の縮尺1/400の銀製模型を外すわけにはいかない。 本模型は、日本郵船3代目社長 近藤廉平氏(1848-1921)の遺品の中から見つかったもので、パリ講和会議の随員として大正8年(1919)、にアメリカ経由でパリへ向かう時に乗船したゆかりの船だったという。

[写真28] 日本郵船の貨客船“伏見丸”銀製模型

籾山製の銀製模型の美しさは、現物を見ない限り理解できないであろう。 <表06>に銀製竣工模型を、<表07>に銀製模型の製作一覧を記した。

<表06> 籾山艦船模型製作所が製作した銀製竣工模型

<表07> 籾山艦船模型製作所が製作した銀製模型

商船の銀製模型として他に写真で確認できるものとしては、昭和10年(1935)1月に三菱長崎造船所で竣工した大阪商船の“吉林丸”と翌年竣工の“高砂丸”があるが、これらが戦前最後の銀製竣工模型になったのではないかと思う。

[写真29] 大阪商船“吉林丸”銀製模型

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