ふね遺産

第3回ふね遺産

認定結果

歴史的で学術的・技術的に価値のある船舟類およびその関連設備を「ふね遺産」(Ship Heritage)として認定し、社会に周知し、文化的遺産として次世代に伝えるため、日本海洋船舶工学会は一昨年度よりふね遺産認定事業を実施しています。

5月20日に実施したふね遺産審査委員会での審議により、第3回ふね遺産認定案件として下記7件を決定しましたので、以下の通りお知らせいたします。なお、今回から認定基準を変更し、非現存船も認定の対象としました。

第3回認定案件 所有者
「雲鷹丸」
漁業の発展に貢献した現存する最古の国産鋼船
東京海洋大学
「明治丸」
鉄船時代の英国造船技術を今に伝える我が国に現存する唯一の帆船
東京海洋大学
幕末建造木造帆装軍艦「鳳凰丸」
我が国の技術役人と船大工によって建造された大船建造解禁後初竣工の洋式帆船
非現存船
(認定書は「鳳凰丸」にゆかりのある横須賀市に贈呈)
幕末建造スクーナー型木造帆船「ヘダ」
ロシア人技術者指導の下、我が国の船大工が建造し、その後の洋式船建造の礎となった帆船
非現存船
(認定書は「ヘダ」にゆかりのある沼津市に贈呈)
「第十とよた丸」
我が国初の外洋航行型自動車専用運搬船
非現存船
(認定書は船主の川崎汽船()に贈呈)
「ボール進水設備」
進水作業の効率化を実現した日本発祥の設備
三菱造船株式会社 下関江浦工場
「長崎小菅修船場」
我が国近代造船業の黎明期に活躍した最も古い遺構
三菱重工業株式会社 長崎造船所

審査委員会委員(順不同、敬称略、所属は当時)は次の通りです。

日本船舶海洋工学会会長 柏木 正 (委員長)
日本航海学会会長 織田 博行
日本海事史学会会長 安達 裕之
日本マリンエンジニアリング学会会長 大松 哲也
ふね遺産認定実行委員会 委員長 小嶋 良一
日本船舶海洋工学会 理事 鳥井 幸典(欠席)

 

現存船

雲鷹丸

漁業の発展に貢献した現存する最古の国産鋼船

ふね遺産第18号(現存船第7号)

所有者
東京海洋大学
保管場所
東京海洋大学 品川キャンパス

現存する最古の国産鋼船で、水産講習所の練習船として活躍しました。大型蟹工船の先駆けでもあり、漁具の改良や人材育成など漁業の発展に貢献しました。
明治42(1909)年5月に大阪鉄工所(現 日立造船)桜島工場で2代目の練習船として建造されました。鋼製補助機関付帆装練習船で、総トン数444トン、船長41.2m、幅8.5m、速力12.5ノット、最大搭載人数は81名です。
世界で初めて船上でのカニ缶詰製造に成功し、大型蟹工船の先駆けとなった船でもあり、3本マストのバーク型米国式捕鯨船では現存する最古の船でもあります。昭和4(1929)年に引退するまでの約20年間で36回の航海を行い、約600人の実習生が乗船しました。昭和37年に現在地に移設され、平成10年に有形文化財に登録されました。

 


明治丸

鉄船時代の英国造船技術を今に伝える我が国に現存する唯一の帆船

ふね遺産第19号(現存船第8号)

所有者
東京海洋大学
保管場所
東京海洋大学 越中島キャンパス

鉄船時代の英国造船技術を今に伝える我が国に現存する唯一の帆船です。明治7(1874)年 英国グラスゴーのネピア造船所で建造された補助帆付き双螺旋推進の鉄製汽船で、総トン数1027.57トン、船長68.6m、幅9.1m、深さ6.9m、速力11.5ノットです。
明治8年に日本へ回航され、明治天皇の御召船や燈台巡廻船として使用された後、明治29(1896)年、商船学校(現・東京海洋大学)に譲渡され係留練習船となり、以後昭和20(1945)年までの間に約5000人の船員を育てました。
船内の明治天皇御座所周辺の豪華な装飾もほぼ当時のまま保存されています。昭和53(1978)年に国の重要文化財の指定を受けました。

非現存船

幕末建造木造帆装軍艦
鳳凰丸

我が国の技術役人と船大工によって建造された大船建造解禁後初竣工の洋式帆船

ふね遺産第20号(非現存船第1号)

所有者
非現存船
保管場所

嘉永6年(1853)年に建造が開始され、嘉永7年5月(1854)年に竣工した、我が国の技術役人と舟匠の創意により建造された洋式帆船です。技術官僚であった浦賀奉行の監督のもと、船大工が見分した洋式帆船をもとに建造しました。
図面は残っていませんが、構造・寸法・用材などについては詳細文書が残っています。一部和船技術も応用し、接合にボルトは使用せず和釘使用しています。また、塗装として密陀僧(一酸化鉛)を塗り、船底には銅板を貼る等の特徴があります。建造後函館戦争に榎本艦隊の輸送船として参加し、後に明治政府が所有するところとなりました。
(写真は鳳凰丸絵図:中島義生編「中島三郎助文書」より引用)


幕末建造スクーナー型木造帆船 ヘダ

ロシア人技術者指導の下、我が国の船大工が建造し、その後の洋式船建造の礎となった帆船

ふね遺産第21号(非現存船第2号)

所有者
非現存船
保管場所

幕末に遭難したディアナ号の乗組員帰国のために建造されました。ロシア技術将校により洋式帆船として設計が行われましたが、建造には日本人船大工が参画しました。
安政2年(1855年)3月10日に進水し、帰国航海後幕府に献上され、明治5年(1872年)廃艦となって函館に係留されました。バウスプリットを含む全長は約24m、最大幅約7m、デッキ深さ約3mです。ヘダの名称は、建造された君沢郡戸田村に由来し、その後建造された同型船は君沢型と呼ばれています。
建造技術を学んだ関係者は、その後長崎伝習所に派遣されたり、操船・造船技術の教育や、蒸気船千代田型の建造に携わるなど我が国の造船分野の発展に貢献しました。
(写真は戸田造船郷土資料博物館蔵の模型)


第十とよた丸

我が国初の外洋航行型自動車専用運搬船

ふね遺産第22号(非現存船第3号)

所有者
非現存船
保管場所

従来の外洋航行型自動車運搬船は、ばら積み兼用船で往航は自動車、復航はばら積み貨物を搭載し運航しましたが、初めて復航は空載とする本格的な自動車専用運搬船として誕生したのが本船です。
船主は川崎汽船株式会社、建造は川崎重工株式会社神戸工場で1970年07月09日に竣工しました。全長は160.0m、総トン数12,517トン、2,082台積みでした。
岸壁積込みや船内移動は全て自走方式で、PCC( Pure Car Carrier)と呼ばれる船型の先駈けとなりました。

船舶の建造施設

ボール進水設備

進水作業の効率化を実現した日本発祥の設備

ふね遺産第23号(船舶の建造施設第4号)

所有者
三菱造船株式会社 下関江浦工場
保管場所
同上

昭和22年12月三菱日本重工業(株)横浜造船所にて考案、実用化されていましたが、三菱重工業(株)下関造船所に一括移管され、昭和56年2月以降現在も活用中です。世界で初めて考案された進水方式で、現在国内9造船所の12本の船台で活用されています。
ボール進水方式は直径約90mmの鋼製ボールを使用した進水方式で、進水法としては従来ヘット進水等がありましたが、摩擦係数の変動も少なく、作業性も向上し、進水作業の効率化に大きく寄与しました。


長崎小菅修船場

我が国近代造船業の黎明期に活躍した最も古い遺構

ふね遺産第24号(船舶の建造施設第5号)

所有者
三菱重工業株式会社 長崎造船所
保管場所
同上

修船場は就航した船の船底修理や清掃のために、船を修船架に載せて、海に向かった斜面に敷設されたレールの上を蒸気駆動などの原動機付きウインチで引揚げる設備です。乾船渠使用に比べ、時間的にも経済的にも利点がありました。
本施設は明治元年(1868)12月に竣工し、大正9年(1920)頃まで修船場として、また明治8年頃から20年頃までは新造船建造場としても稼働しました。
初期の状態を良く留め、我が国近代造船業最古の遺構であり、また1800年代の修船架としてほぼ完全な姿で残る世界唯一の遺構です。

第3回応募案件リスト

T…東部地区 K…関西地区 S…西部地区

応募No. 認定通し番号 地区 案件 推薦理由 所有者了解
1 -01 汽船「大洋丸」 日本郵船所有の客船だったが、第二次世界大戦中戦時徴用船として利用され、1942年東シナ海で戦没。民間人816が犠牲となった。
2 -02 五島列島沖合に海没処分された日本海軍潜水艦24艦・国有財産 2017年8月、一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会が主催する「伊58呂50特定プロジェクト」により発見。海域は北緯32度34.5分,東経129度13.5分。
3 -03 若狭湾に海没処分された日本の潜水艦3艦・国有財産 呂500は、ドイツ人の手によりドイツから運ばれ、潜水艦本体のみならず先端機器をドイツから運び、戦後の日本の技術的発展の基礎を作った。(呂500はドイツから贈与されたUボート)
4 18 東部 T01 東京水産大学雲鷹丸
申請書
東京水産大学の前身である農商務省水産講習所の練習船として1909年に建造された。3本マストのバーク型「鋼製補助機関付」帆船で,国産鋼製船舶としては現存最古のもの。昭和37年,喫水線上部が現位置に移設。
5 19 東部 T02 明治丸
申請書
我が国に現存する唯一の鉄船であり、鉄船時代の造船技術を伝える貴重な遺産として国の重要文化財に指定された。
6 東部 T03 戦時標準船2TM型主機タービン・減速歯車装置及び完成図書 戦時標準船に搭載された、現存するタービンと・減速歯車装置。短期間での建造を目指したため、構造が簡素化されているが、現在も教育実習用に使用されている、戦時中の技術を伝える貴重な遺産。
7 20 東部 T04 幕末建造ブリッグ型木造帆装軍艦「鳳凰丸」
申請書
大船建造解禁後、我が国初の洋式帆装軍艦。浦賀奉行 (技術官僚であった) が監督の下、 船大工が見分した洋式帆船をもとに建造した。図面は残っていないが、構造、寸法、用材に関する資料は現存。
8 21 東部 T05 幕末建造スクーナー型木造帆船「ヘダ」
申請書
幕末に遭難したデイアナ号の代替船として、ロシア技術将校指導により洋式帆船設計・建造・進水法を初めて学んだ日本の船大工によって建造された。その後、千代田型建造など我が国の造船技術発展の契機の一つとなった。
9 東部 T06 畿内丸 日本-米国航路において、大型ディーゼルエンジンを搭載し、航行日数を従来の50日から25日へと大幅に短縮し、高速ディーゼル貨物船時代の先駆けとなった。
10 東部 T07 咸臨丸と関連資料 維新後、横須賀の造船所等で,咸臨丸で渡米した水夫や士官が航海の経験、メーア・アイランド海軍造船所での経験を生かし、日本での航海術の発展や造船所創業、そして、何よりも日本の近代化に大きく貢献した。
11 22 関西
K01
第10とよた丸
申請書添付資料1
添付資料2
添付資料3
添付資料4添付資料5
我が国初の専用自動車運搬船(PCC)。完全自走式多層型で、その後のPCCの発展の基礎を作った。また浅吃水やせ形船型、大風圧面積などの工学的問題を克服した。
12 関西
K02
マーメイド号と関連展示物 堀江謙一氏により世界初の太平洋無寄港単独横断に成功した際、用いられたヨット。横山晃氏の設計によるもので、サンフランシスコ海事博物館にて良好な状態で保存されている。
13 23 西部
S01
ボール進水方式
申請書添付資料1
昭和22年三菱日本重工業(株)横浜造船所において、世界で初めて考案・実用化された進水方式であり、その後下関造船所に移管され現在も活用中。それまでのヘッド進水に比較して、汚染問題や作業性において大きく改善された。
14 西部
S02
幕末佐賀藩の造船技術の遺構 幕末期における佐賀藩の造船技術発展の歩みをたどることのできる遺物・遺構である。当時わが国で唯一のボイラー製造場を有し、わが国最初の乾船渠の築造、わが国最初の実用船御召浅行小蒸気船凌風丸の建造を行った。
15 24 西部
S03
長崎小菅修船場申請書添付資料1 我が国近代造船業最古の遺構であり、修船架の遺構としても最古の遺構。また 1800年代の修船架としてほぼ完全な姿で残る世界唯一の遺構。

(注)個人情報も含まれることから、第3回より認定案件の申請書および添付資料のみを公開することとし、また申請者名および連絡先を非公開としました。

委員名簿

第3回ふね遺産審査委員会

委員長 柏木 正 日本船舶海洋工学会会長
大松 哲也 日本マリンエンジニアリング学会会長
織田 博行 日本航海学会会長
安達 裕之 日本海事史学会会長
小嶋 良一 ふね遺産認定実行委員会委員長
鳥井 幸典 日本船舶海洋工学会理事

第3回ふね遺産認定実行委員会(2018年度)

委員長 小嶋 良一 関西設計顧問、浪華丸復元建造責任者・造船資料保存委員会メンバー、海事史学会理事
委員 平山 次清 横浜国立大学名誉教授
委員 庄司 邦昭 東京海洋大学名誉教授 (元)航海学会会長、運輸安全委員会委員
委員 内藤 林 大阪大学名誉教授、(元)日本船舶海洋工学会会長
委員 新開 明二 九州大学名誉教授
(令和元年7月にご逝去されました。)
委員 小寺山 亘 九州大学名誉教授
アドバイザー 長谷川 和彦 大阪大学名誉教授

ふね遺産認定実行委員会 三地区調査検討委員会(2018年度)名簿

東部地区調査検討委員会委員
主査 平山 次清 横浜国立大学名誉教授
委員 庄司 邦昭 東京海洋大学名誉教授
委員 茂里 一紘 (前)海洋技術研究所理事長
委員 大和 裕幸 海上・港湾・航空技術研究所理事長
委員 芳村 康男 北海道大学名誉教授
委員 川邊 寛 (元)防衛大学校教授
委員 寺尾 裕 東海大学名誉教授
委員 竹川 正夫 (元)住友重機械工業
関西地区調査検討委員会
主査 小嶋 良一 関西設計(株) 顧問
委員 池田 良穂 大阪府立大学名誉教授
委員 石浜 紅子 (元)なにわの海の時空館館長
委員 岡本 洋 (元)川崎重工(株)
委員 伊藤政光 鳥羽商船高等学校名誉教授
委員 内藤 林 大阪大学名誉教授
委員 日夏 宗彦 大阪大学特任教授
委員 藤村 洋 (元)三菱重工業(株)
西部地区調査検討委員会委員
主査 新開 明二 九州大学名誉教授
(令和元年7月にご逝去されました。)
委員 安東 潤 九州大学教授
委員 硴崎 貞雄 元三菱重工業
委員 小松 武邦 元三菱重工業
委員 重廣 律男 鹿児島大学水産学部教授
委員 慎 燦益 長崎総合科学大学名誉教授
委員 小寺山 亘 九州大学名誉教授

第3回ふね遺産 認定基準

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